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2007年5月20日 (日)

対立的思考

 ベルジャーエフは徹底的に否定神学を主張する。否定神学における「神はすべてを超越する」ということは肯定神学の「神は絶対他者である」と同様ではないだろうか。このように、彼は肯定神学の根本をよく理解しておりながら、それを常に否定神学的に表現していく。なぜか。「肯定神学は社会的暗示の支配を受けている」(『わが生涯』238頁)が、「神は真理であり、この世は虚偽である」(『わが生涯』238頁)という対立的思考があるからである。

 では、この世は虚偽であるとは、どういうことか。それに対してベルジャーエフは、「人間社会は恐怖の上に建てられている。しかも人間社会が恐怖の上に建てられてあるので、人間社会はまた虚偽の上に建てられてあるのを知る。なんとなれば、恐怖は虚偽を産むからである」(『神と人間の実存的弁証法』)と言って、人間社会の根底に恐怖を見ている。

 また、「国家において勝利を収めたものは、キリストではなくて、反キリストであった。国家は神の国、キリストの国に逆らって打樹てられたカイザルの国である。キリスト教徒はここに永住の都を持たない。彼はやがて到来する都を求める。これは真にロシア的な理念である」(『ロシア思想史』)といって、「到来する都」に目を注ぎ、この方向に自由と創造活動を考えている。ここに典型的なキリスト教実存主義があり、教会の隷従的思考に対して、歴史的教会よりも広いキリストの神秘的教会のうちにあって、単独者的思考をベルジャーエフは実践しているのである。ベルジャーエフは、「自分がキリストの神秘的教会の会員であることを常住に感じている」(『わが生涯』280頁)という。

 社会は形式、組織、秩序の堕落態であり、強制である。しかし、神は自由である。「神は一警官よりも権力がない」(『わが生涯』)。それ故に社会に適用される形式は神には適用されない。神の自由は、アナーキストの自由である。外からの強制的形式ではなく、内から自発的に出てくる愛の秩序である。

 国家と神の国との関係を、ここまで対立的にとらえる図式は西方教会の中では不可能ではないかと思う。従って、現代的註釈をつけながら読むという保留の中であれば、その思想は、大いにわれわれを益すると思う。

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