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2007年6月16日 (土)

一人一教会

 内村鑑三は、若き日に「洗礼・晩餐廃止論」を書きました。これは言ってみれば、無教会マニフェストとも言うべきものでしょう。そこでは、洗礼・晩餐(聖餐)における、教会形成の「手段」「道具」的意味が捨象されてしまったとも考えられます。

 内村の信仰には精神の強調があり、ルターの信仰義認という、直接、神に向かう魂の姿勢、その継続の必要を感じ取っていたと思います。その意味で、彼は、無教会こそ、宗教改革の徹底、第二の宗教改革と言ったのかも知れません。それは同時に、内村において、体制化するプロテスタント教会への批判となって現れたのかも知れません。

 内村は、「一人一教会」ということを、その生涯の最後に言いました。彼の出していた信仰個人雑誌『聖書之研究』の最終号(昭和五年四月号)にその言葉があるのです(九頁)。その意味では、遺言とも言うべき言葉、「一人一教会」においては、あの「洗礼・晩餐廃止論」の結論が語られているのかも知れません。その考えを発展させていったのは内村の弟子の塚本虎二でした。

 しかし、それが無教会の表道とすると、裏線は、別の示唆を与えるものになっていると思います。

 内村は、いわゆる「洗礼・晩餐廃止論」に固執しなかったのです。実際、パミリー女史との論争の起きた直前の一九二七年十一月十四日には一少女に洗礼を授けていますし、また聖餐式もたびたび行っています。そのコンテキストを洞察する時、また別の理解も生まれるのではないでしょうか。それは一つなる教会への歩み寄りです。

 この「一人一教会」と同じような発想が仏教側にもあるようです。

 井上球二さんが始められた「一人一寺 心の寺」運動は、純然たる仏教運動なのですが、キリスト教では内村鑑三の始めた無教会運動と類似しているようにと思います。因果関係は分かりませんが、井上さんは、特に指摘していないようです。「一人一寺」という言葉に「一人一教会」という言葉が、かつて無教会の中で語られていたことを思い出しました。

『一人一寺 心の寺』(井上球二著、春秋社、1988年)という本があり、『朝日新聞』(94年2月22日)にも記事があります。月刊雑誌『現代』8月号(?年)に、吉田敏弘氏(ルポライター)が「教祖なし、お布施なし、宗派も自由──じわり広がる『一人一寺  心の寺』運動」という記事を載せています。「一人一寺」は「いちにんいちじ」と読むそうです。

 この運動の創始者は78歳で亡くなった仏教画家の故・井上球二(きゅうじ)さんです。この仏教運動は1981年(昭和56年)6月に始まり、一人一人が、心の中に無形の寺を建てて、いつも仏と共にいることを実感して、信仰生活の支えにしようというのが、その狙いです。ただ、一つの約束事があって、それは「延命十句観音経」を毎日唱えること。こうして、15年間で995番まで「心の寺」が建てられているというのです。

 井上さんは「心の寺」が宗派を超えたものであることを指摘していますが、無教会も、内村の心の中では、教派を超えたものであり、一教派という枠付けを与えられることには非常な抵抗があったのです。

 ただ、無教会の場合には、集会の指導者に対して独立伝道者という言葉を使い、牧師という言葉を使いません。独立伝道者でない無教会信者もいるのですから、この点は、「心の寺」の方が、もっと徹底しているかも知れません。

 類似点としては、「紙上の教会」(『無教会』誌第一号、明治三十四年三月)という理解があるかも知れません。無教会は機関誌の発行をしていますが、「心の寺」も、機関誌の発行で相互の交わりを維持しています。このような形態は、宗教の活性化につながるのではないでしょうか。

 人に死がある限り、人は宗教的であることから逃れられないと思います。宗教的関心というものは、既成教団から離れても、法人化していない活動に寄せられていくと思います。宗教的関心が人からなくなることはないと思います。

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