« 証言 | トップページ | 救いの範囲 »

2007年6月21日 (木)

ベルジャエフ人物像

『ベルジャエフ』(田口貞夫著)という本がある。著者はベルジャエフの紹介で名前の出てくる人である。ベルジャエフとは、どういう人物だったのだろうか。この本の抜粋(「」内)と私見である。

まず、実存哲学について、彼はこう言っている。

「真の哲学は実存哲学である」

ここまで、ずばりと言われては、と思うかも知れないが、どこか、内村鑑三と同じような率直さが感じられるのである。そして、こういう。

「哲学者の品位は、意見を率直にのべることにある」

彼は、自分の哲学は実存哲学だとは言っても、それは宗教的・キリスト教的なもので、無神論的な実存主義には批判的であった。こう言う。

「ベルジャエフは、キリスト教的実存主義の立場にたつ。ハイディガーやサルトルを、無神論的なものとして、批判した。ヤスパースの方が、両者よりはよいとしている」

このような人生の選択を、彼は青年時代になしたという。それは意味への問いを自らに課したというのである。

「わたしは、青年時代に、意味(神)と、永遠(救い)とを、探究しようと決心した。この探究こそ、わたしの回心ともいうべきであり、哲学への召命であった」

こうして、彼は神を見い出したのである。

「宗教にもつずいてこそ、真の生活があり、真の哲学があり、正しい社会がある。宗教こそ、真の生活技術である。宗教は、すべてのものに意味をあたえ、人間の眼を、真に、開かせる」

「人が、神を見失うときには、また、充実した生活を、見失ってしまう」

彼の性格について、ここで一瞥しておこう。

「つねに、環境にさからう傾向の人がいるがね、わたしも、その一人であり、いかなるものにも頭を下げることができなかった。わたしは社会に適応しなかった。社会において、地位をしめることを、わずらわしくおもった」

「かれが、職業的革命家とならずに、もっぱら実践面よりも、精神面において努力したことは、現実の面には不向きな、かれの性格の一端をしめしていると、考えてよかろう」

「かれは、圧迫された世界には、絶対に満足しなかった。生涯が、実に、危機の連続であったともいえるが、このような状態を解決するために、決然として、超越へむかって、たち上がったのである」

「かれは、生涯を通じて、孤独、苦悶、あわれみ、不安、自由などの諸感覚を意識したといっている」

「ベルジャエフは、現実の、社会、歴史、人間を肯定することのできない、激しい性格であり、終生に亘って、苦悶、不安、あわれみ、自由などの諸感覚を、意識した。つねに、終末への期待があった」

こういう彼の性格からして、彼は独学であったと言ってもいい。

「かれは、多読で、博学であった」

彼の思考は、プラトンに負うものがあったようだ。また、神秘主義的にものもあった。

「ベルジャエフによれば、思考や認識は、元来、情熱的なものであり、知性だけの働きではなく、意志や感情の働きでもあった」

「プラトンのイデア論は、アリストテレスの哲学よりも高く評価しうる。しかし、プラトンのイデアの世界は、畢竟、静的な、存在論的な概念であって、非人格主義的な性格のものである」

「ベルジャエフは、神秘主義を、静的な型と、動的な型の二つにわけているが、かれ自身の神秘主義は、活動的な神秘主義といってよいであろう。かれは印度型の、沈思によって自己を滅却し、この世界の呪縛からのがれようとする、冥想的な神秘主義には、あきたりなかった。神がかり的に、恍惚状態になって、忘我をのぞみ、自己の安心をえようとする、退嬰的な神秘主義を嫌った。こうした、静的な神秘主義は、人間を、真に、解放し、人間の自由を覚醒させる方法ではないと、考えていた」

しかし、ベルジャエフの関心は歴史に向けられていたようである。歴史哲学に関して、彼は書いている。その歴史はヘブライ的・キリスト教的な歴史観であった。

「歴史哲学はメシア主義なしには考えられない」

「「終末論の形而上学」の中でも、かれは、「私は、すべてを、終末の光にてらして考えてみたい」と、のべているが、彼の全思想は、終末をめざす闘いであったということもできよう」

「全歴史が終末へむかって進行している」

「現世を肯定することのできない精神は、伝統的にヘブライ人のものである」

哲学というものは、聖化の前と限定する必要はないのである。聖化の過程においても、人には哲学の可能性が与えられているのである。ベルジャエフは、そのことを教えているように、私には思える。

|

« 証言 | トップページ | 救いの範囲 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 証言 | トップページ | 救いの範囲 »