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2007年6月 5日 (火)

神の摂理的統治

「人の子たちに対する[神の]摂理的統治には区別があります。ある敬虔な著者は、神の摂理には三重の輪がある、と言っています。一番外側の輪というのは、人類すべて、すなわち異教徒、マホメット教徒、ユダヤ教徒、そしてキリスト者を網羅するものです。神は、かれらすべての上に太陽をのぼらせ、雨と稔りの季節とを与え、無数のよきものを注いで彼らの心を食物と喜びとで飽き足らして下さいます。その内側の輪をもって、神は、すべてキリストの御名を呼ぶ見ゆるキリスト教会全体を包含し給うのです。神はこの教会に対して、さらに特別の配慮を加え、その福祉のために親しい注意を向けて下さいます。しかし、神の摂理の一番内側の輪は、見えざるキリストの教会だけを包んでいます。それは、地上のあらゆる隅々に散らされているすべての真のキリスト者のことであり、(どの教派に属していようと)霊とまことともって神を拝するすべての人々のことです。神はこのような人々を目のひとみのように大切にして守ってくれます。そして、その御翼の陰にかくし給うのです。「あなたがたの頭の毛までも、みな数えられている」と主が言われたのは、特にこの人々に関してなのです」
(『ウェスレーの神学』野呂芳男他訳)

霊的巡礼とは霊的登山であり、それは、この三重の輪の中心に向かって進むことを意味する。自分は、今、どのへんにいるのだろうか。

このモデルを見ていると、全世界が一つの共同体のように思える。中心にいる人たちの動向は、世界全体に影響を与えることができる。なぜなら、全世界は、その中心に秩序づけられているからである。

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