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2007年6月 4日 (月)

教会のかたち

「わたし自身の判断によれば、わたしは依然として『教会政治では監督制度が、聖書的であり、また使徒的である』と信じています。しかし、わたしはそれが聖書の中に絶対なものとして命令されているということを信じません」(『ウェスレーの神学』野呂芳男他訳)

監督制というのは英国教会の制度を指しているのだろう。そこでは使徒継承を主張している。それを「使徒的」といったのではないだろうか。ウェスレーの教会観は、高教会的であったと、読んだことがあった。そこではカトリック的教会観に近いのである。

しかし、それは聖書には語られていない。その信仰、二ケア信条が生まれたのは、のちのことである。それが後半の意味なのだろう。そして、この解釈の中から、メソジスト教会が誕生したのではないだろうか。だから、メソジスト教会も監督制なのだけれど、ウェスレーが考えていた監督制とは外形は似ていても、内実は違うものであったのではないだろうか。それは「使徒的」の意味の相違が両者の間にあるのではないだろうか、という意味である。

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