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2007年6月24日 (日)

聖者国家

安全の 保障聖者に 求めるは
 理解できるか 多くの人に

聖者国家という言葉を聞いたのは、元明治学院院長の故武藤富男氏からであった。「結論を言えば、造るべき国家は、強盗国家、やくざ国家の時代を脱し、商人国家から紳士国家へ、紳士国家から聖者国家へと進化して行くべしということである」と著書『社説三十年 第一部』(キリスト新聞社、39頁)で書いている。

戦後の日本に対しては、商人国家という印象を持っていたようだが、紳士国家への移行を感じとったかどうかは、知らない。しかし、最終的には聖者国家という国家の目標を見ておられた。

実は、この聖者が国家を救うのである。こんな指摘がされている。

「もし、城壁の中に10人の正しい者が見つかっていたなら、町全部が救われていたのである。不敬虔な人たちは、自分たちが、彼らの間にいる神の子たちにどのように負うところが大きいか、ほとんど知っていない。彼らは、とうの昔に神の怒りの洪水によって、ひとり残らず押し流されていたことであろう。しかし、彼らの間に正しい者がいるかぎり、神は何ごともなすことがおできならないため、さばきは保留になっているのである。気の早いしもべたちは、しばしば、毒麦を刈り集めたいと申し出る。しかし義であられる主は、「いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかもしれない」と答えられる。ああ、なんと世の人たちは、世の腐敗を食い止める塩であり、混乱と暗黒の再支配をとどめるための光である聖徒たちに、どのように大きな負い目があるかということを知っていないことか!」(『信仰の高嶺めざして』F.B.マイヤー著)

神は旧約聖書で、アブラハムに対しても、同じようなことを語っている。

従って、聖者を生み出すことが、その国にとっての本当の安全保障なのである。しかし、多くの人たちには、そのことが分からない。

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