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2007年6月22日 (金)

終末論的出来事

「パウロとヨハネによれば、終末論的なできごとは劇的な宇宙的破局として理解されるべきではなくて、イエス・キリストの出現をもって始まり、それにつながって歴史の中で繰返し起る歴史内の事件として理解されるべきであるが、どの歴史家によっても確証され得るようなかの歴史的発展としてではない--ということはキリスト教使信の逆説である。それ<終末論的なできごと>は説教と信仰とにおいて繰返しできごととなる。イエス・キリストは過去の時代の確立された事実として終末論的できごとであるのではなく、繰返し現存するものとして、説教を通してここでいまあなたやわたしに呼びかけるものとして終末論的現在なのである」
(岩波現代叢書『歴史と終末論』R.K.ブルトマン著、196-7頁)

説教が必要というが、証し、証言も、それに含めていいのではないだろうか。説教といっても、聖書を語るだけではなくて、そこに聖霊がおられるという実感がなければならないのだろうと思う。そのことをバルトは重視したのではないかと思う。しかし、バルト批判者たちは、それは聖書の客観的権威を崩すものと解釈したのだろう。だから、バルトが批判された部分は、バルトにおける実存主義的発想なのだと思う。

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