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2007年6月25日 (月)

眺望

「私たちは、キリストにある神の愛を十分に理解することができないかもしれない。しかし、高く登るほど、いっそう多くのものを見ることができる。聖別された生涯の最高峰は、無限に広がる沃野を十分に見おろすことができるのである」(『信仰の高嶺めざして』F.B.マイヤー著)

司馬遼太郎さんはキリスト者ではなかったが、歴史の眺望を求めているといった思いを、どこかで語られていたように思う。

キェルケゴールの出発点には共感するけれど、その歩みを続ける中で、ヘーゲル的な人類史の眺望が与えられればと思う。

眺望は歴史観、世界観であり、そんな観は、人が生きるに必要だと思う。

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