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2007年6月26日 (火)

正常と異常

変人は異常者という印象の表現である。しかし、正常も異常も相対的であり、比較の問題である。

『天才の心理学』の中で、著者のE.クレッチュマーは、こう言っている。

「精神的に健全なものは、生物学的にばかりでなく、社会的にも、非健全なものに比してつねに優位にあるという謬見が一般の人の間にある」

「精神健全者とは、概念的には正常人、通常人に通じる。とにかく、均衡状態にあって自ら足りているものは精神的に健全であると称することができる。しかし心情の静謐、無事快適は、むかしから決して偉大な行為への拍車とはならなかった」

「「天才は狂気なり」と言いきることができるであろうか。われわれはそれを欲しない。むしろわれわれは「天才は純生物学的に見て、人類中の稀有にしてかつ極端なる変種である」と言いたい」

一般的には、誰もが健全、正常、通常を願い、求めているのではないだろうか。しかし、その中で、少しみんなと違った人がいる。彼が変人のままで終わるか、それとも天才に変貌するかは、どこで決まるのだろう。

天才とは、こういう存在とのことらしい。

「「天才」とは、積極的の価値感情を、広い範囲の人々の間に永続的に、しかもまれに見るほど強くよびおこすことのできる人格である」

「天才とは、単に「価値を持ち来る者」ではなくて、「価値を創り出す者」である。しかも同時に天才はまた一個の偉大な人格の構造それ自体、すなわちあらゆる内的緊張と外的葛藤とを克服した究極の風格に満ちた完成品であり、特に後世に対してあたかも偉大な記念碑のような影響を与えるもの、また高揚した精神として独自の価値をもつものである」

ジャン・クリストフを生み出したロマン・ロランも、天才であったと思う。天才は決して少なくはない。われわれは天才たちのおかげを日々、受けているのである。

「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることはできない。また、灯をともしたとき、それをますの下に置く人はいない。燭台の上に置く。こうすれば、それは家の中のすべての人々のために輝く。このように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」(マタイ5・14-16、フランシスコ会訳)

もし、あなたが信ずるなら、あなたも天才たちの仲間入りをするであろう、とも言えると思う。

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