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2007年6月28日 (木)

終末の戦い

「一千年の期間が満ちると、サタンはその牢獄から解き放される。そして、地の四方にある諸国の民を惑わすために出て行き、彼らを戦いのために招集する。この者どもがゴグとマゴグである。その数は海の砂のように多い。この者どもは、あの地の高原に登り、聖なる人々の陣営と神に愛される都とを取り囲んだ。すると、天から火が下ってきて、この者どもを焼き尽くした。そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げこまれた。そこは、あの獣と偽預言者とがいる所である。この者どもは、昼も夜も、永遠にそこで苦しめられているのである」(ヨハネ黙示録20章7-10節、フランシスコ会訳)

中世千年王国説を採用すれば、近世・近代は、どうなるのでしょうか。千年王国が終わった時に何が起きるのか、聖書は、語っています。フランシスコ会訳では「終末の戦い」という小見出しをつけています。

最終の戦いということでは、ハルマゲドンという名前がよく使われます。しかし、ハルマゲドンは、黙示録16章16節に出てきます。黙示録20章7-10節の戦いがハルマゲドンかも知れません。しかし、確認はしていません。

以前、米国の根本主義者の思想、いや信仰を扱った本の中に、『核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記』という本が 朝日新聞社から出ていました。

物騒な表題です。それはなぜかというと、核戦争はハルマゲドンを意味し、その後に再臨が来る、再臨の前にはハルマゲドンがなければならない、だから、ハルマゲドンを待望しているのではなくて、本当は再臨を待望しているのだ。そのような思いが、あの表題の裏にあるのだと思います。

しかし、核戦争を待望するなどとは、本当は、とんでもない罪ではないかと思います。イエスは、「しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。」(マタイ5・28)というのです。

心の中の思いは、外に現れて犯罪となるまでは取り締まることができません。しかし、イエスは、心の中の秘めた思いにも注意を向けています。

さて、われわれは再臨を待望しています。では、ハルマゲドンを待望すべきなのでしょうか。これは避けたいと思います。

では、どうしたらいいのでしょうか。ハルマゲドンは終わったという理解です。もちろん、根本主義者らは、これは間違った聖書解釈というでしょう。しかし、核戦争を待望するというよりも、ハルマゲドンは終わったといった聖書解釈の方が、もし可能であれば、イエスのみこころにかなうのではないでしょうか。

歴史観が問われているのだと思います。聖書的歴史観なのですが、それは一体何なのか、ということも含めて。

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