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2007年6月 5日 (火)

哲学者気質

「もともと疑わしいもの、言わば「異郷的なもの(das Unheimische)」を、あえて問題にし、思索しようとする者が哲学者である」(『パスカルとニーチェ』吉沢伝三郎著)

哲学者気質というものは、いってみれば業のようなものかも知れない。

聖書では、空しい哲学を避けよ、勧告されている。

「あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。」 (コロサイ2・8)

この言葉があるために、哲学専攻を批判する聖書信仰の保守的キリスト者もいるかも知れないが、それは「むなしいだましごとの哲学」を指しているので、哲学一般とか、「有益な」哲学を指しているのではないと思う。

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コメント

人生は旅である。どんな旅をするかは、その人の自由である。ところで、哲学の旅というのは、問うことが条件なのだろう。問う力がなくなった時、哲学の旅も終わるのだろう。しかし、問いが起きても、忘れては意味がない。問いが起きたら発信する。ブログに書く。こうしておけば記憶され、また他者の心の中が何事か仕事をするかも知れない。問い続けていけば、何事かが分かる時がくる。そして、また新しい問いに取り組む。問いは神に向かわなければならない。その時、世界は静かに、その恩恵に浴するのである。

投稿: | 2007年6月 5日 (火) 19時20分

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