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2007年6月15日 (金)

クリスチャントゥデイ問題

今、日本のキリスト教系新聞で、クリスチャントゥデイ問題が取り上げられている。クリスチャントゥデイは、現在はインターネット上の電子版のキリスト教新聞といったものである。以前は紙の新聞も作ったことがあるらしいし、私も見たような記憶がある。しかし、すぐに、紙の新聞の発行はやめたようだ。

突然、問題が現れてきたようであるが、以前からあったようである。

疑惑は、この「新聞」の背景に統一教会がからんでいるかどうかというものだが、追及の急先鋒である救世軍の山谷少佐の個人ブログには詳細な情報が満載されている。

私は、この件では二つのことを思う。

一つは、電子版「キリスト教新聞」の出現である。これは日本のキリスト教界では画期的なことではないだろうか。そして、やがては、こちらの方が主流になるのではないだろうか。そんな思いを抱いている。

戦後間もなく、賀川豊彦の意志により、週刊の新聞が登場した。戦禍で隣の教会がどうなっているか分からないから、新聞を出して、教会に奉仕するのだ。そんな動機もあったようだ。

それから福音派が日本福音同盟を結成し、その「陣営」にも新聞が出来た。カリスマ運動が盛んになってきて、その交わりの中からも、新たな新聞が出来た。

しかし、電子版の新聞は、とうとう現れなかった。既存のキリスト教メディアの中で、そんな取り組みがあったのだろうか。

かつて、パソコンが一般に浸透し始めたころ、ニューメディア研究会というもので、新しいメディアの時代に、教会はどう対応したらいいか、有志で考えようという取り組みはあった。しかし、今はない。

日本のキリスト教系新聞は多くは週刊である。しかし、クリスチャントゥデイは毎日、更新されている。速さでは、週刊と日刊の違いで、どうしてもかなわない。やがて、このようなメディアに集約されていくのではないだろうか。もし、それが逆転しない趨勢であるのなら、自分たちで電子版を作成することを、日本のキリスト者たちも考えなければならないと思う。

リバイバルを求める声、信徒1%の壁を破ろうという掛け声はあっても、クリスチャントゥデイが現実に提起している「明日のメディア」への取り組みがなければ、夢は実現しないであろう。

もう一つは、再臨の問題である。統一教会の創始者、文鮮明氏は再臨主という「信仰」が信者の間であるらしいが、それだけでは、何を言っているのか分からないのである。

キリスト教会は再臨で何を信じているのか、統一教会は何を信じているのか。教義の問題であれば、論じる場があると思う。イエスは雲に乗って再臨すると言われても、ある時、突然、空中の一角に、雲の中に人が現れるということを意味しているのだろうか。

再臨で教会は何を信じているのか。そのような取り上げ方をすれば、教会側にとっても、信仰の自覚・確認・検証に、よい機会となるのではないだろうか。

以上の二点を感想として、私は今、持っている。

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コメント

突然に失礼いたします。
①確かにクリスチャントゥデイがサイトでやっていることは、他のキリスト教メディアができなかったことですね。サイトを利用した文書伝道のあり方を考えるべきでしょうね。
②クリスチャントゥデイはACMが母体だとされています。このACMのトップがダビデ張在亨氏とのことです。そして、このダビデ張氏が再臨のキリストであり、彼の言葉が新しい福音(実の福音)として信じられている、とのことです。
②についてはすでにキリスト新聞等でも報道されていたと思います。追跡取材をして、続報が載ることを期待しております。

投稿: | 2007年7月 2日 (月) 19時34分

コメント、ありがとうございます。

②について、「再臨のキリスト」という言葉が出てきます。再臨は教会の信仰告白で、みな信じていますが、千年王国との関係で信じ方はいろいろと思います。「再臨のキリスト」とは、どういう意味なのか。この点に関してはキリスト新聞では報道していないと思います。この問題は、取り上げ方次第では、反面教師的に教会の活性化につながるかも知れないと思っています。クリスチャントゥデイは、背景を考えなければ、別に問題ない、率直に言えば、いい紙面だと思っています。

投稿: toma | 2007年7月 2日 (月) 20時12分

たびたび失礼します。また、ご返答に感謝いたします。
私もクリスチャントゥデイは整っているだけでなく、きれいな作りになっていると思います。
しかし、私としてはどうしても背景を考えてしまうのです。
ACMというダビデ張在亨氏をトップとする団体では、彼の言葉が福音として信じられ、そして、来臨のキリストだと伝えられているそうです。
再臨は確かに教会の信仰ですが、基本的にイエスが第二のアドヴェントにもやっていると信じられているわけで、クリスチャントゥデイの母体であるACMで伝えられているように、現役の一教職が来臨のキリストとしていることに、私は違和感を感じます。

それと、クリスチャントゥデイの報道のあり方については、キリスト新聞にあるように、当初から疑義が持たれていましたね。
クリスチャントゥデイには、それらの疑義についてほとんど説明責任を果たしていません。福音派的な信仰告白と「いのちのことば社」の根田氏に対する文書のみが一時期掲載されていました。

クリスチャントゥデイは、一見するといい紙面です。
それだけに、ACMの背景や多くの疑義に対する説明責任のなさなどが不気味に感じるのですが、いかがでしょうか?

投稿: | 2007年7月 4日 (水) 00時24分

感想を書きます。

>ACMというダビデ張在亨氏をトップとする団体では、彼の言葉が福音として信じられ、そして、来臨のキリストだと伝えられているそうです。

間違っていると思います。

>再臨は確かに教会の信仰ですが、基本的にイエスが第二のアドヴェントにもやっていると信じられているわけで、クリスチャントゥデイの母体であるACMで伝えられているように、現役の一教職が来臨のキリストとしていることに、私は違和感を感じます。

違和感に同感です。

しかし、「来臨のキリスト」というのはどういう存在なのか、よく分かりません。教会に、またキリスト者に内在している聖霊の権威を上回る権威として来臨するという意味なのでしょうか。再臨の時には、そのキリストを教会は指し示すのではないでしょうか。三位一体の神なのですから。再臨のキリストが、教会に対して、自分を認めて欲しいとアプローチするのはおかしな構図と思います。

統一教会の説明では、キリスト者としても、まだ完全に贖われていないとして、それをイエスの「失敗」とかという視点から、再臨の必要を位置づけていたという印象がありました。イエスの「失敗」なんて、危ない示唆だと思います。十字架の相対化につながるかも知れず、その点は拒否すべきだと思います。

>クリスチャントゥデイは、一見するといい紙面です。
それだけに、ACMの背景や多くの疑義に対する説明責任のなさなどが不気味に感じるのですが、いかがでしょうか?

疑惑がなければ、説明すればいいと思います。救世軍の山谷少佐がブログの中で、疑惑を全部紹介していますが、それでいいと思います。疑惑に関しては、全面的に少佐を信用しています。ブログからクリスチャントゥデイ関係のものが消えた時は疑惑が解消したのだと理解することにしています。

しかし、この問題は何を意味しているのか、と思います。再臨とは何か、再臨信仰とは何か、その点に関心を持つよう教会を促しているのだと、私は解釈しています。教会が、その点で明確な主張を持つようになれば、別に、一人の教職を再臨のキリストにしなければならない心のすきまがなくなるのではないかと思います。

クリスチャントゥデイ疑惑をどう解釈するか、それは教会の課題です。

投稿: toma | 2007年7月 4日 (水) 08時43分

日本の教会の主体性の中で、クリスチャントゥデイのような「キリスト教新聞」の電子版が出ないのが残念です。しかし、あるいは時間の問題かも知れません。

既に、一般には「インターネット新聞」というものがあり、市民記者が存在しています。誰でも登録すればなれるとのこと。しかし、無報酬です。こんな電子版のキリスト教系新聞があれば、協力する人は多いのではないでしょうか。特に、キリスト教のメディアに関係した人たちは関わりやすいと思います。新しい役割りを見い出す人も出てくると思います。

かつて、一般向きのワープロが登場した時、最初は三種でした。その一つがオアシス・ライトというワープロでした。夏ころに出たのかも知れませんが、その年は、他社のワープロは出てきませんでした。しかし、年を越してから、多くの企業からワープロが出てきました。

今、クリスチャントゥデイは、ある意味で、あの時のオアシス・ライト同様、独占的な立場にあります。しかし、日本の教会に、これでいいのか、という反省が必ず出てくると思います。それを静かに待っています。

投稿: | 2007年7月22日 (日) 21時01分

クリスチャントゥデイは、信仰告白を掲げています。福音派には異論がないと思います。それ以上に立派な信仰告白と思います。

ということは、現在、この信仰告白で活動しているので、なぜ問題にされるのか、という問いがクリスチャントゥデイ側にあるかと思います。それも、当然と思います。

これはキリスト教界再編の起爆剤なのかも知れません。再編を望む声もあるかと思います。

投稿: | 2007年7月23日 (月) 17時59分

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