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2007年6月18日 (月)

人間の条件

「天賦の資質を恵まれた稀にして高貴な人間は、すべてが許されるというような人間ではない。反対に、彼は何物も許されない人間である。すべてが許されるのは、愚者とつまらぬ人間である。真の貴族的性質は、天才の性質のごとく、社会において特定の位置を占めるものではない。それは社会内に特定のいかなる位置をも占めることの不可能性を意味する。すなわち客体化の不可能性を意味するのである」(『奴隷と自由』ベルジャエフ著)

人間が時空存在である限り、客体化を避けることはできないと思う。しかし、ここでいう社会とは「我とそれ」の関係の空間を意味しているのだろう。この空間は厳然として存在していて、なくすことはできない。ただ、その中にいても、「我と汝」の関係を作り出す可能性は残されている。そういう関係を極大化に、「我とそれ」による客体化を極小化に、そういう努力をせよ、という意味にしか、とれないと思う。

人間の眼前には許されている分野が広がっているように見える。可能性の領域は広い。しかし、できない。なぜか。端的に言えば、動機がないからである。それは遺伝子によるものなのだろうか。

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