巡礼
「同行二人」を常に思いつつ、巡礼者は行く。巡礼者の白装束は、この世に対する死の表現。巡礼とは人生という旅、同行二人とは、「私と聖霊」。
キリスト教の中にも、巡礼観念はある。『信仰の高嶺めざして』(F.B.マイヤー著)には、こんな言葉があった。
「人類の歴史を貫いて、小さな群れがいる。彼らは神聖な、とぎれることのない伝統を保ち、自分たちは地上にあっては巡礼者または旅びとであると告白してきた」
「巡礼者は、あらゆる時代を通じてよく踏み固められた、定められたコースを、急いで通過して、自分自身のホームに着く--それ以外に、なんらの願望ももたない」
巡礼というのは、自分にとっては、まず一つの外的現象であるが、それを通して、その跳ね返りの中で、自分の生を問うという意味をも持っている。
(『聖書之研究』のバックナンバーを見ていた時、そこに、F.B.マイヤーの名前を見つけたことがある)
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