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2007年6月11日 (月)

二重予定説

二重予定説はカルビンの説として知られているが、実はアウグスチヌスに遡ることができる。

彼は、ペラギウス論争で恩恵論の確立に貢献したが、その後、セミ・ペラギウス論争も始まった。この論争は529年、オランジュ公会議で決着、アウグスチヌスを擁護したプロスペルが勝った。ここまではよかった。

そのアウグスチヌス恩恵論を継承するものとしての、ゴットシャルクの二重予定説、ヤンセニウス主義者の恩恵論など、いずれも異端として判定されたのだという。

カルビン主義はアウグスチヌス恩恵論の継承なのだろうが、ゴットシャルクやヤンセニウス主義者に対する判定がどうであったのか、一般信徒には、それは余り知られていないのではないだろうか。しかし、やはり知らなければ、真相が分からないかも知れない。

アウグスチヌス恩恵論の継承がなぜ認められなかったのか。

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コメント

ゴットシャルクは9世紀の人で、870年ころに没。「彼は急進的アウグスティヌス主義者とよばれるように、極端な二重予定説を唱えた」(講談社学術文庫『アウグスティヌス』宮谷宣史著、405頁)という。著者は、誤解の例として、ゴットシャルクのほか、教皇グレゴリウス1世(590-604在位)も挙げている。

投稿: | 2007年6月12日 (火) 14時57分

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