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2007年6月16日 (土)

東條英機の死

近くの書店で、文春文庫『祖父東條英機「一切語るなかれ」』(東條由布子著)を見ていた。明治学院の武藤学院長という文字が飛び込んできた(230頁)。著者は東條英機の孫で、明治学院に入学したことがあり、その時、武藤学院長との出会いがあったのだという。この部分に興味を持って、本を購入した。しかし、余り多くは書かれていなかった。

本には、武藤氏の二男である直路氏のことも触れてあった(250-251頁)。ラジオ短波でのアルバイトの時の、著者の上司だったのだという。直路氏には、父・富男氏の葬儀に時に、明治学院の礼拝堂で一回、お会いしただけだけれど、その文章を読む機会があり、名文家との印象を持っている。

東條英機の死(絞首刑)は昭和23年12月23日午前0時1分という。それは武藤富男氏にとっても、人生の転機であった。

その葬儀は、昭和23年12月25日に行われたが、その時の模様を、武藤は回顧録で、こう記している。

「葬儀には婦人が多かった。東条全盛時代にとり巻いていた朝野の名士の顔は見えなかった。
 東条の葬儀に参じた時は私自身も彼とともに絞首刑を受けた思いであった。私は一旦死んで、新たなる人生に出発しようとの意志をこの時固める結果となった。恩師ウェーンライトの「伝道者になりなさい」とのことばは、この時、私のうちに成就された」(『社説三十年 第1部』武藤富男著、キリスト新聞社、116頁)

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