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2007年7月 3日 (火)

状態でなく関係

「ウェスレーは完全を「状態」としてではなく、毎瞬間成り立つ神との「関係」として捉えている。しかし、きよめられたと告白しながら、次の瞬間、愛と反するような言動が、心の動きが出てくるような不安定な、感情的なものではなく、全き愛は修練されて、人格や性格や人柄とも言える内的な質(habitus)となり、そこに不動性・堅実性・安定性・質性というものが伴う」(『キリスト者の完全』ジョン・ウェスレー著、訳・注 藤本満、イムマヌエル綜合伝道団、28頁)

完全は神から独立した、人の側のある状態なのではなくて、あくまで神との関係の中に維持されていくものという指摘なのであろう。「毎瞬間」という言葉の中に、実存主義の反復思想を垣間見る思いがする。

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コメント

キリスト者の完全とは、一つの状態のような印象を与える言葉である。しかし、実体的概念における状態を意味しているのではない。

それは言ってみれば、関係に基礎付けられた状態である。あるいは関係更新に基礎付けられた状態である。この関係更新がなくなれば、完全もなくなるといったものであろう。

こんな言葉がある。

「最も聖なる人でも、預言者として、「世の光」としてのキリストを要する。なぜなら、キリストが光を与えてくださるのは一瞬一瞬であって、キリストが退かれた途端に、すべては闇となるからである。最も聖なる人でも、王としてのキリストを要する。なぜなら、神は聖めの蓄えを人に与えられないからであり、その人が毎瞬、聖めの供給を受けなければ、その人の内には不聖が残るだけであろう」
(『キリスト者の完全』イムマヌエル綜合伝道団創立60周年記念、195-6頁)

投稿: | 2007年7月 4日 (水) 12時03分

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