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2007年7月17日 (火)

キリスト者とは

キリスト者とは、と問う時、一般的には「洗礼を受けた者」となるかも知れない。もちろん、例外はある。その例外においては、洗礼の指し示すものを強調している場合もある。それは聖霊の働きである。『ジョージ・フォックス』(山室武甫著)には、こんな指摘がある。

「基督者とは、聖書の知識を有するとか、教会の権威に服するとかいうことによってなれるものではなく、内的光明の啓示によってイエスの御姿を認め、彼の品性や行為が其の啓示によって変化されたものであるべきである」

「聖霊の力がなければ、かりに聖書の言葉であっても人を助けることができない」

要するに、聖霊の力によって新生し、聖化の道を歩んでいる人、という意味なのだろう。水の洗礼も、また聖餐(聖体)も、新生、聖化に働く聖霊に結びつかないでは、その意味をなさない、と思う。洗礼と聖餐(聖体)を重視する人たちは、そのことを無視してはいないと思う。

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