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2007年7月16日 (月)

錬獄的観念

「わたしたちの考えでは、いかなる人も永遠のいのちへのこの前段階をこの世において経験しなかったなら、墓の向こうに行ってからなにもしないで直ぐには永遠のいのちを得ることはできないでしょう」(『同情と信仰 ヒルティ著作集7』カール・ヒルティ著、岸田晩節訳、白水社、448頁)

これはヒルティにおける錬獄的観念なのだろうか。これは、永遠のいのちが与えられる人について語っているのだから、既に救われている人についての言及である。

しかし、この世で始まった救いも段階があり、この世で終わらなければ、あの世でやらねばならない、と言っているようでもある。その限りでは、新生から栄化までの過程で、人間には通らなければならない段階があるということらしい。

ウェスレーは、その目標を地上では「キリスト者の完全」においた。カトリックなら、聖人を目指せ、ということなのかも知れない。もっとも、聖人は、その人の死後、教会が決める確定事なので、地上において、信者の自覚の中の目標として現れてくるものではない。その意味では、やはり「キリスト者の完全」を目指すことが、当面の目標といってもいいかも知れない。地上では、「完全」者といえども、それを失う可能性がある。しかし、聖人は確定している。

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