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2007年7月13日 (金)

神秘体験

聖霊体験というのは、一種の神秘体験であり、その最初の体験を回心というのが通常であると思う。「真の進化は外部的に成就するものではない。宗教的なコンヴァージョンという事なしに、どうして本当に人間が人間の思想を180度転回し得よう」(『ジョージ・フォックス』山室武甫著)と言われるように、人生には神聖な瞬間というものがある。

たとえば、1889年、北インドのシーク族の富裕な地主の末っ子として生まれたサンダー・シングは、その伝記が何冊か出ているが、「最初は基督教を迫害したが、光の中に活けるキリストを見る経験をして回心し、献身と奉仕の生活に入った」(『ジョージ・フォックス』山室武甫著)。彼の資格は、ただ一つ、回心の体験であった。

このような神秘体験については、クエーカーの教えに学ぶところがある。『ジョージ・フォックス』(山室武甫著)には、こんな記述がある。

「ロイス曰く、「神秘家は徹底する経験論者である」」

「J.B.プラット曰く、「私は神秘主義を、通常の道程以外の、或は理智以外の方法によって、ある存在者或は実在者の現存を意識することであると定義したい。それは其の現存の感情的な意識であって、それに関する信念ではない。又、それは資格、聴覚、触覚等の結果ではなく、思考により到達した結論でもない。それは直接的な直感的な体験である」

五感の結果としての経験ではなく、それでも経験としかいえないものがある。だから神秘家は経験論者とも言われる。また、このような感覚を持つ人を神秘家というのであれば、そして、キリスト者は聖霊を感じているのであれば、その限りではキリスト者も神秘家と言われてもいいのであろうと思う。

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