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2007年7月21日 (土)

神秘体験

「ローマ・カトリック教会のほうが神秘主義に対しては寛容でした。その理由は自然神学(創造主なる神を自然の推論によって知るというやり考え方)と、恩寵による神の啓示という考え方からやがて、カトリック教会が第三の範疇、すなわち神秘的神学(神秘体験を通しても人は神を知るという立場)を受け入れるようになったからです。カトリック教会のこうした動きの背景には、特定の、聖人と呼ばれる人たちが経験した神の臨在体験がありました。それはある種特異な、強烈な神との交わりの体験でした。プロテスタント福音派は、自然や神秘的主観主義によってではなく、神の啓示である聖書によってのみ、人は神を知ることができるとし、カトリックのような三段構えのアプローチを拒絶しています」
(『喜びの旅路』ジェームズ・フーストン著、長島勝訳、いのちのことば社、118頁)

自然神学の定義は、その通りと思います。しかし、「恩寵による神の啓示」の中に新生・聖化における聖霊体験は含まれているのか、という問いがあります。もし、含まれているのであれば、それもまた神秘体験ではないかという問いが続きます。そして、その神秘体験と、カトリックの神秘的神学とは、どういう関係なのかという問いもあります。

「聖書によって、人は神を知る」と言っても、聖霊の働きがなければ分からない。それは神秘体験とは言わないのか。私は、言ってもいいのではないかと思います。

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