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2007年7月 4日 (水)

インテリゲンツィア

「インテリゲンツィアはつねになんらかの観念、とくに社会思想に夢中になり、それに身を棄て献身した。かれらは思想によって生きる力を得、ただそれだけで生きた」(『ロシア共産主義の歴史と意味』ベルジャーエフ著)

ロシア・インテリゲンツィアとはどういう人たちなのか、それを知ったのは、ベルジャーエフの著書を通してであった。今はもうなくなったが、ロシア共産主義には魅力があったのだろうと思う。

そんな魅力、社会思想の観念にかかわった人、社会理論とキリスト教信仰とを結びつけて活動した人に賀川豊彦がいた。この結びつきは彼独特のもので、多くの人は棄てていった。キリスト教社会主義者で、キリスト教を棄てた人は多いのである。その意味では、彼の後継者はいない。この領域は、今も未開拓のままのような気がする。

社会思想は、もちろん政治にかかわるのである。しかし、今の政治に思想があるのだろうか。

いや、あるのだろう。ベルジャーエフが創造活動の結果として表現していったものも、世俗政治の世界では翻訳されて、別のものとして主張されるかもしれない。しかし、それでも、そういう評論の世界がなければ、政治思想も生まれず、政策も成り立たなくなるともいえる。

自殺の問題、これは政治の問題というよりも、宗教の問題であろう。生きる人は、境遇にかかわらず生きる。生きる意味を失った人は、境遇にかかわらず、死ぬことを選ぶのだから。

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