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2007年7月12日 (木)

奉仕のため

「ここに、重大な質問がある。それは、選びは、私たち個人の救いよりは、むしろ、私たちの奉仕に関係がありはしないかということである。それは苦悩、きびしさ、心の痛みを多く伴う割りに、安息、平安、喜びといったものはわずかしかもたらさない。だから、神に選ばれた人をねたむ必要はない。彼らは流浪の民であり、十字架を負う者、殉教者であるからだ。しかし彼らは、人里離れた所で神の最も深い学課を身につけ、やがては、あらゆる人の思いを越えた、人間生活にとって貴重な発見を携えて、人々のもとに帰ってくるのである」(『信仰の高嶺めざして』F.B.マイヤー著)

救いの喜びの表現には、「ああ、うれし」などの讃美歌がある。もっとも、最近の歌集には入っていないかも知れない。しかし、実は、救いは奉仕のためではないだろうか、という指摘がある。洗礼のあとに堅信がある。それは奉仕の力のためである。聖霊のバプテスマもそうだ。しかし、どういう形で奉仕したらいいのか。現代の形があるのではないだろうか。

印刷術が発明されて、宗教改革は進展した。同時に、教会分裂も進んだ。21世紀は、それに代わるものとして、インターネットが出来た。新しい改革は統合を目指しているのかも知れない。今、改革の方法を見つけようと、手探りしているのかも知れない。

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