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2007年7月21日 (土)

『不可解なるウェスレー氏』

諸宗教との関係で、ウェスレーは包括主義の外にいるという(『メソジストって何ですか』225頁)。これは理解できない。

また、キリスト教の中の立場としても、自分は高教会主義者であり、同時に福音主義者である、といっている(『メソジストって何ですか』228頁)。これも理解できない。

そこから、ハイツェンレーター著『不可解なるウェスレー氏』という本もあるらしい。

諸宗教との関係では、包括主義が、ぎりぎりキリスト教信仰を保持しての、他宗教との関係の「立場」である、と私は思っている。しかし、包括主義的立場が「あっさり」否定されているとは、やはりウェスレー氏は不可解である。

英国では、高教会はカトリック的であり、福音主義は低教会と言われている。そして、福音主義が高教会のカトリック的要素に反発して、ピューリタン移住者たちが米国に渡り、やがて、米国の独立になったというのが歴史の教科書の見解である。そういう歴史を、ウェスレー氏の「告白」は、不可解にしているという意味かも知れない。

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コメント

メソジスト教会と高教会主義者とは、一般的には相容れない立場なのだと思う。だから、メソジスト教会の信徒にとっては、ウェスレーが高教会主義者であるというのは、自分の信仰とは異質なものがあると思うのではないだろうか。逆に、ウェスレーが高教会主義的信仰を捨てた時、彼の中で、メソジスト運動を展開していく動機が残ったのかという問題も感じる。福音主義的信仰の中で、ウェスレーを見るのは、一つの解釈であり、国教会に固執したウェスレーには、後継者たちとは別の意図があったのではないだろうか。メソジスト教会の中には、高教会的信仰は、その特徴的な「使徒継承」的信仰はない。なぜなら、ルターが捨てたからである。

投稿: | 2007年7月21日 (土) 11時39分

ウェスレー理解は、プロテスタント信仰からの理解が一般的であったし、今もそうだろう。しかし、それでつかみ切れるのだろうか。カトリックであり、かつプロテスタントである、そんな立場が可能である。彼は、そう言っているような気がする。もちろん、ローマのではなくて、国教会のカトリック主義である。しかし、国教会のカトリックとローマのカトリックは近い。ウェスレーの別の解釈も可能のような気がする。

投稿: | 2007年7月24日 (火) 08時47分

ウエスレー理解と、メソジスト理解が浅薄ではないだろうか。途中を端折って、結論だけを言うと、ウエスレーの運動は聖礼典復興運動であった。そこには、ウエスレーの中にある高教会的な要素を見逃してはならず、それを終生持ち続けていたことも、事実である。問題はむしろ、ウエスレー後の新大陸におけるメソジスト教会の発展であろう。ウエスレーの時代には、メソジスト教会は存在せず、あくまでも当時の英国国教会内での運動であったに過ぎないわけだが、そこには、アンチカトリシズム、つまり高教会的な要素を払拭してしまった産業革命期とその後の国教会がある。新大陸のメソジスト運動(教会ではなく)は、むしろウエスレーの意志から離れて動いていた。その一つが、祈祷書に関することである。ウエスレーは、当時の国教会の祈祷書を尊重し、これにメソジスト的な要素を一部加えただけで、これを用いて礼拝を司式するようにと、新大陸に送っている。ところが、彼の地のメソジストたちは、このことを全く無視し、自由な形で礼拝を守るようになった。ここから、ウエスレーの意図から外れたメソジスト教会が展開するようになって行く。おそらくこれは、新大陸におけるピューリタンたちとの接触と関係があるのかもしれない。この、米国で発達したメソジストが、現代のメソジストのスタンダードになっている一面がある。しかしながら、英国においては、メソジスト教会と国教会との相互陪餐のみならず、聖職、信徒も「一つの教会に属するもの」として扱われるようになった。平たく言えば、国教会の聖職がメソジスト教会に牧師として赴任することが可能となったわけで、日本在住のある学者は、これを完全なる一致と言っている。これは、本家のメソジスト教会においては、米国型のメソジストが持たない、ハイチャーチ的なものを今でもまだ含んでいる、と言うことになるのかもしれない。いずれにせよ、「ホーリネスのご先祖様的な教会」というメソジスト理解は、間違いだと思う。

投稿: 通りすがり | 2009年1月20日 (火) 12時37分

「通りすがり」さん、貴重なコメント、ありがとうございます。当方も、コメントを追加します。


「途中を端折って、結論だけを言うと、ウエスレーの運動は聖礼典復興運動であった」

●そうですか。私は、ウエスレーの運動は聖霊の働きを重視した運動と思っていました。聖礼典というと、洗礼と聖餐を指すと思いますが、その形を守ることを強調したのでしょうか。むしろ、心のあり方を重視したのではないかと、私は思います。


「ウエスレーの中にある高教会的な要素を見逃してはならず、それを終生持ち続けていたことも、事実である」

●そうですね。あの回心体験を中心にして高教会的な要素を批判的に見る、そんな光でウエスレーを見る、そんな見方が、プロテスタントの福音派では一般的ではないかと思います。私もまた、そんな見方になじんできました。ですから、ウエスレーにおける高教会的要素は、克服されるべきものと思っていました。しかし、それを重視する見方もあると知りました。どういう文脈で、重視されるのか、それはまだ分かりません。しかし、あの有名な回心体験がなければ、ただ、高教会的要素だけでは、ウエスレーは、今に至るまで、キリスト者を動かし続けることが出来たであろうか、とも思いました。

「新大陸のメソジスト運動(教会ではなく)は、むしろウエスレーの意志から離れて動いていた。」

●しかし、メソジストの指導者たちは、ウエスレーの信仰を受け継ぐと思っていた。だから、ウエスレーの信仰には、メソジスト教会を生み出すものが含まれていたのではないでしょうか。両者には、対立だけではなく、一致する面もあったと思います。もし、そうでなかったら、ウェスレー神学を学んでいる、日本のイムマヌエル教会の人たちは、どう思うでしょうか。

「しかしながら、英国においては、メソジスト教会と国教会との相互陪餐のみならず、聖職、信徒も「一つの教会に属するもの」として扱われるようになった。」

●英国の国教会には、高教会的(カトリック的)な面ばかりではなく、低教会的(福音派的)なものも含まれていることを考えれば、その一致は高教会的なもので他を排除するということではないかも知れないと思います。バックストンは、英国国教会に属していましたが、その信仰の継承者たちは福音派と呼ばれています。菅円吉先生は、バルト研究で知られていますが、聖公会の司祭でした。

投稿: | 2009年1月20日 (火) 19時24分

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