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2007年7月 9日 (月)

共同体の考察

『奴隷と自由』(ベルジャエフ著)には、次のような記述がある。

「テンニースがゲマインシャフトとゲゼルシャフトの間に設けた区別は、よく知られている。ゲマインシャフトは現実的で有機的である統体である(例えば、家族、階級、村落、国民、宗教団体)。ゲゼルシャフトは理念的で機械的である(例えば、国家)。ゲマインシャフトのうちには温かさがあり、ゲゼルシャフトのうちには冷たさがある」

「教会は精神的な団体であるが、それはまた家族的有機的ゲマインシャフトであり、構成された機械的社会である。この点に教会の問題のあらゆる複雑性がある。精神的共同体のみが、人間を解放する。有機的家族的共同体と機械的構成的社会は人間を奴隷化する」

教会もまた、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの二つの要素を兼ね備えているのだろう。普通は、ゲゼルシャフトを現実的と言いたいところだが、著者は、ゲマインシャフトを現実的という。その現実的は、普通の使用とは、意味が違うのかも知れない。

ところで、注目に値するのは、「有機的家族的共同体」もまた人間を奴隷化すると言っている点である。これはゲマインシャフトなのである。だから、著者は、ゲマインシャフト即解放の力と考えているのではなくて、それに二つの要素を見ているのであろう。

アブラハムは、「有機的家族的共同体」というゲマインシャフトに別れを告げて、新たに、「精神的共同体」という別のゲマインシャフトを求めて旅立ったというべきなのだろう。

日本は国家全体が、どこか、「有機的家族的共同体」のような感じである。その解放的機能の回復が求められているのかも知れないが、なお反省の余地があるのではないだろうか。

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