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2007年7月 8日 (日)

宣教と再臨

「そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」(マタイ24章・14節)

全世界への宣教があって、それから再臨がある。だから、宣教に励むことは再臨を速めることになるのだ。そんな「理論」をかつて、日本の生んだ著名な大衆伝道者から聞いたことがあった。公開集会の中で、ちょっと触れただけなので、「理論」を語られたわけではない。

なぜ、このことが頭に残ったのだろうか。それは、宣教から再臨へ、という道筋の逆もあり得るのではないかと思うからである。再臨信仰から宣教へ、という道筋のことである。本当は、これが正しい宣教の動機でなければならないのではないかと思うこともある。なぜなら、再臨信仰には、こちら側の動機に一点の曇りもないからである。

しかし、再臨信仰は、信徒の間では通用するが、これが客体化されると、とたんに誤解される。「キリスト者の完全」も、誤解されるから、余り話さない方がよいという勧めもあったと思う。内村が再臨運動をやめたのは、誤解が生まれたからであった。しかし、時には誤解されるくらい関心を持たれてもいいのではないかと思う。

今の日本の宗教界は仏教が席巻しつつあるような感じではある。

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