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2007年7月14日 (土)

包括主義

糸永真一司教の「カトリック時評」というブログがあります。

その中で、「キリスト教と諸宗教」の記事(http://www.mr826.net:8080/psi/blog/070711#more)があます。

「諸宗教はその信奉者たちにとって救いの仲介となりうるか」という問いへの回答が記されています。

第一に、「排他主義」と呼ばれる「教会中心主義」は、ピオ12世はじめ、第二バチカン公会議の教えによって無効とされている、と説明されています。それは、洗礼を受けて、地上の教会に属さなければ救われないという見解です。

おそらく、プロテスタントの側でのカトリック批判の中には、このような「教会中心主義」がカトリックの立場という見方があるのではないか、あるいはあったのではないかと、私は思います。しかし、今では、カトリック教会は、それを明確に拒否しているというのです。

次に、「包括主義」と呼ばれる「キリスト中心主義」の説明があり、これが教会の態度と言われています。

第三に「多元主義」と呼ばれる「神中心主義」の説明があり、それは退けられています。

要するに、「包括主義」のみが支持されています。

私も、そのように思います。一読を勧めます。

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コメント

以前、読んだ本に、こんな個所があった。

「人が外形的団体の一員となる事によって神の子となり、永遠の生命を嗣ぐものとなるという教理は、福音の根底そのものをくつがえし、新しい救の方法を導き入れるものである。然もこれこそは,ロマ・カトリック主義の全体系が依拠している教理なのである。すべて洗礼を受けぬ人は永遠の生命を得られぬ、と云うのがロマ教会の教義である」(『カトリックとは何ぞや』チャールス・ホッヂ著)

これは、カトリック主義を「排他主義」的「教会中心主義」とみなしている見解ではないだろうか。しかし、カトリック主義の本質は、この「排他主義」的「教会中心主義」を否定しているのではないだろうか。

投稿: | 2007年7月14日 (土) 17時34分

チャールス・ホッヂという人はかなり著名な米国の長老教会系神学者です。そのホッヂが、こんな基本的なカトリック理解で誤っていたとは思えません。「カトリック時評」では、「無効とされている」とありますので、以前は有効、そして現実にあったということなのでしょう。これでつじつまが合います。

投稿: | 2007年7月15日 (日) 06時09分

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