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2007年7月15日 (日)

滅ぼしつくす

「神以外の凡ゆるものは我々を滅すにしても、決して滅しつくすことはできない。然し神は我々を滅しつくすことができる。この故にこそ我々は神以外の何ものをも恐れず、神のみを真実に懼れねばならないのである。--我々を滅しつくさずには熄まない神、これが怒の神である。而してこの神の怒は現に我々の上にある。「げに之を懼れよ」とイエスは言い給う」(『神の痛みの神学』北森嘉蔵著)

人は魂であり、その魂は死後、天国に行くか、地獄に行くか、二つの一つである。そうキリスト教は教える。そこで、地獄に落ちた魂は、そこで魂がなくなるのか、といえば、そうではなく、魂はあり続けるという。

だから、「滅ぼしつくす」といえるのかどうか、という問いがありうる。魂の実体がなくなるのであれば、「滅ぼしつくす」といえるが、そうでない以上、滅ぼしつくすといえるのだろうか。

著者が言いたいのは、地獄に落ちるということを、滅ぼしつくすという言葉で、強調して言っているのだろう。

しかし、むしろ、魂の実体が死後はなくなる、という仏教の教えの方が、人は滅ぼしつくされるという教えなのではないかと思われるのである。

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