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2007年7月20日 (金)

なぜウェスレーか

比較して、ウェスレーよりもホイットフィールドの方が雄弁家であった。しかし、後世への影響では、ウェスレーの方が大きい。ウェスレーの説教を人々は好んで聞いたという。なぜなのだろうか。

おそらく、ウェスレーの話の中で、人々の関心事がつかまえられていたからではないだろうか。それに対して、きちんと対応したからではないのだろうか。

さまざまな論争を通して、論点が明確になり、信仰の認識も深められていったのではないだろうか。「一書の人」は「万巻の書の人」でもあった。

たとえば、今の日本に置き換えてみれば、仏教徒のひろさちやさんが、キリスト教やイスラム教を論じるように、キリスト教の専門領域を超えて、広く、深く、論じることのできるような人ではなかったろうか。

リバイバルを求める人がいる。しかし、救われた人たちが、自己理解を深める材料が乏しい環境で、どうして救いを維持できるのだろうか。

ウェスレーは、人々の現実を見て、それに丁寧に対応していったのだと思う。

貧困者への対応を見る時、救世軍は、やはりウェスレー精神の一つの展開のように思う。『メソジストって何ですか』(清水光雄著、教文館)は、ウェスレー研究の案内書として、一読を勧めたい。

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