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2007年8月 2日 (木)

自己否定と自己肯定

大学紛争の時、「一点突破・全面展開」という言葉があった。また自己否定が強調された。これらは、キリスト教の真理に根ざしていると思う。

自己否定は、絶対他力に通じる救いの道であり、救いという狭い道を通った人は、そこに全面展開される神の景色を眺めることができるであろう。それは否定を通しての肯定である。従って、自己否定と自己肯定は、こうしてからまりあっていると思われる。『神の痛みの神学』(北森嘉蔵著)には、こんな個所がある。

「ひとは神そのものに於ても自己追求的愛によって自分自身のものを求める」

「肉の念いは、万物にまさって、神にさえもまさって、自分自身を愛する」

「神を愛するという事は自分自身を憎むという事である」

「義人とは要するに自己自身の糾弾者である」

「ルッターが言える如く「愛するとは自己を憎むことである」」

これらは、本来的自己と罪の影響下にある自己とを区別しないと、分からなくなる。自己否定されるべきは、「
罪の影響下にある自己」であって、「本来的自己」ではない。本来的自己は肯定されなければならない。しかし、自己という言葉しかない時には、どういう言い方になるのだろうか。絶対矛盾的自己同一であろうか。自己否定は自己肯定に通じているのである。

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