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2007年8月17日 (金)

地球国アジア県日本村

われらの住む日本は日本国です。しかし、自分の視点を少しずつ高めていくと(目を持つ主体が少しずつ昇天していくと)、「地球国アジア県日本村」という風景が目に入ってくると思います。

さて、今話題の憲法論議の視点には日米安全保障条約との関係が不可欠と思います。
   
その中で、現憲法の指し示す遠景には「地球国アジア県日本村」の風景が見えるのですが、それはもう遠景ではなくて、既に実感する時が来ているのかも知れません。
   
平成8年、沖縄米軍の用地収用期限切れによる不法占拠状態を回避するため、政府は駐留軍用地特別措置法(特別措置法)を改正しましたが、その時の与野党の議論の中に、現憲法の性格が現われています。
   
当時の梶山静六官房長官は、日米安保条約がなければ、日本には軍事大国への道しかない、と言っています(「東京新聞」4月16日)。
   
これは、日本の憲法は軍事大国への道を拒否しているにもかかわらず、それだけでは不充分だと言っているのです。憲法の理想の絶対平和・絶対非戦は、あくまで理想であって、それだけでは現実の政治は出来ないと言っているようです。
   
日本の周辺諸国でも、日本の軍国主義の犠牲になった地域の人々は、日米安保の存在が少なくとも日本軍国主義の再興を阻止していると思うことができるでしょう。日米安保肯定論の一つです。
   
「主権国家」的発想の下では、そうなるのでしょうが、戦後、そのような発想では世界から戦争がなくならないというので、別の発想を模索した人たちがいました。そのビジョンを示唆しているのが日本の憲法という理解もあると思います。
 
さて、梶山発言に対称的なのが、土井たか子・社民党党首(当時)の発言で、第三回定期党大会で、「特別措置法には違憲の疑いがある」と言いました(「読売新聞」4月19日)。
   
特別措置法のバックには日米安保条約がある、その日米安保には違憲の疑いがあるという指摘が隠されているようですが、ある意味で筋が通っています。しかし、社民党の前身、日本社会党が政権政党になった時に、安保・自衛隊を承認したので、その流れからすれば、特別措置法違憲論には、党内でも、面倒な議論が出るように思います。
   
いま、憲法論議が新たに始まろうとしていますが、憲法と日米安保条約との関係を問うことをしない場合、余り、意味あるものとはならないように思います。
   
現憲法は、どう考えても米国に依存したものであることは否定できません。それは、第9条によって軍備を持たないと宣言しつつ、その不安というものを日米安保で補っているという構造があるからです。
   
憲法を純粋に読んでいたら、それは日米安保を認めていないと思います。憲法は日本が他国から攻撃される状況を予想していないのです。日本は国際社会の中で丸腰でいろ! と言っているのです。
   
そんな憲法を日本に提供して、それに矛盾している日米安保の相手となっているのも、同じ米国なのです。
   
だいたい、主権国家にとって、自国の安全というのは一番大切なことではないでしょうか。自国が滅んで何の憲法か。その一番大切な部分を米国に依存しているというのが、現在の日本のあり方です。
   
戦後日本は、こうして、国の存立の中心的部分で米国との関係に支配されているといったらいいと思います。
   
日本の危機というものは日米安保が変動した時にやってきます。それは二国間の条約なので、一方が破棄すれば消滅します。

梶山氏によれば、その時には日本は軍事大国になるしか選択肢はないということになります。憲法がああだから、日米安保が必要なのだという梶山氏の議論は、憲法を変えれば、日米安保も変わるかも知れないという意味を含むと思います。憲法改正論者は日米安保の存続を当然と思っているかも知れませんが、この二つは、どこかで繋がっているという理解もしておいた方がいいかも知れません。
   
憲法を順守するとしたら国際社会の中で丸腰にならないといけないし、それが嫌なら、日米安保を認めるしかありません。この矛盾を矛盾としないで生きているのが、今の日本であり、理屈は最高裁判所で作られています。
   
もちろん、憲法をそのまま読めば、日米安保というものを予想してはいません。憲法が支えとして予想しているのはむしろ国連の機能ではないかと思います。国連中心主義の国際的視野、その世界観の中で生きることが求められているように思います。
   
そんな世界観がやってきたときには、「地球国アジア県日本村」という風景が見えるでしょう。その風景の中では日本国首相も日本村の村長さんでしかありません。日本語は一つの方言にしか過ぎません。こんな風景を見なければ、時代遅れになる、そんな時にさしかかっているのではないかと思います。
   
もちろん、「日本国アジア県地球村」といった風景を見ている人もいるでしょうが、日本は全世界を向こうに回すほどに特殊な国なのか、といった問いに、私は答えを持っていないので、そんな風景は目に入りません。

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