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2007年8月24日 (金)

無教会

吉満義彦は、「カトリック的宗教復興の現象と理念」の中で、無教会について、「大なる世界基督教の「体」より遊離せる旧きリベラリズムの教養層のイデオロギイに過ぎない、余りにも初歩的な!」と評している。

大なる世界基督教の「体」というのは、彼にとってはカトリック教会なのだろう。

この評は当っているのだろうか。無教会には、こんな一面もあるかも知れないが、根本は違うと思う。

吉満は一高時代は、内村の聖書研究会につらなる人であった。その後、帰朝した岩下神父の影響でカトリックになった。だから、無教会を知らないわけではない。

内村の文章を読む時、それは「旧きリベラリズムの教養層のイデオロギイ」とは、とても言えない。

昨日、神田の古本屋で、アテネ文庫『無教会キリスト教』(関根正雄著)を買った。それは、「旧きリベラリズムの教養層のイデオロギイ」とは無縁である。

無教会の論客の一人であった故関根教授とは、一度、会ったことがある。

昭和40年代の前半、四谷の上智大学で、日本基督教学会の大会があり、私もシンポジウムの話を聞いていた。すぐ前に関根教授がおられた。

この時は、カトリックからはデュモリン、ネメシェギといった神父たち、プロテスタントからは、滝沢克己教授が出席されていた。滝沢教授に質問が集中していた。

関根教授には、教会と無教会との対話、対論といった本もあるが、今、こんな議論のできる人が、教会の中に、また無教会の中に、果たしているだろうか。

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