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2007年8月27日 (月)

半ペラギウス

改革派関係の本には、カトリックは半ペラギウス主義なのだという批判が見られるのだが、教会史的には、この考え方は、既に決着がついているのである。

「ペラギウスはブリタニアの修道士だった。彼は評判が高く、人間は人間の力だけで完全な徳行ができ、恩寵の助けがなくとも救われ得るという教理を主張した。この説は原罪の否定であり、キリストの贖いを無益なものとする。それはアダムの影響を悪い前例とし、キリストは単なる模範にすぎないと考える。これに対し、ヒッポの司教アウグスチヌスが戦った。しかし、ペラギウスの高い評判と、彼の同志ケレスティウスの巧妙さにより、この教説は広まっていく恐れがあった。
 そこで問題はローマに持ち込まれた。何事も教皇でなければ決定し得なかった。当時の教皇はイノケンティウス1世(402-417)だった。イノケンティウスはローマに教会会議を召集、この異端説は断罪された。その直後、教皇が亡くなり、後継者ゾシムス(417-418)は、初め、異端者がみせかけだけの前説取り消しに欺かれていたが、418年にローマ教会会議を再召集し、席上、「トラクトリア」と呼ばれた回勅により、ペラギウス派に決定的宣告を下した。この教皇決定が至る所で受け入れられ、分裂は終わった。
 その後、この謬説の弱められた党派(これは半ペラギウス派、またはマルセイユ人の謬説といわれる)は、529年にオランジュの会議で断罪され、この決定を教皇ボニファキウス2世(530-531)が批准することで、決着がついた」(『教皇』カトリック全書80、W・ドルメッソン著、橋口倫介訳、ドン・ボスコ社、97-98頁)

だから、カトリック教会は半ペラギウス主義ではない、と言えるのではないだろうか。

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コメント

半ペラギウスは灰色とすれば、それは一色である。プロテスタントがカトリックを見る時、そのように見えるのかも知れないが、そこには誤解が混じているかも知れない。

カトリック神学の典型をトマス神学に見るならば、それは「一色」ではない。黒と白との弁証法的統一である。黒と白を混ぜれば灰色となる。だから、灰色に見えるのかも知れないが、灰色ではない。神の主張と人の主張が貫徹されていて、統一されている。この違いがある。

しかし、カトリックは灰色という一色というプロテスタント的判断が広まると、そういうふうに考えてしまう。その解釈を検証することもしないで、それが最終的事実と思ってしまう。

投稿: | 2007年8月28日 (火) 06時40分

★ カトリック教会を半ペラギウスと言う理由

ペラギウスの主張を一言で言えば、全的堕落の非承認。人の罪の影響を深刻に受け止めない考え。
人の力で神の救いに預かることが出来る、というもの。半ペラギウスはそれを少しやわらげたもの。人神協力説ともいうか。

「恩恵は自然を廃棄せず、完成する」-トミズム (トマス神学)
トマスは神・人・世界に関する知識を、まずアリストテレスに相談し、その後で不完全で傷ついた部分をキリストに補修してもらう、と考えた。
当時「哲学は神学の婢(はしため)」と言われたが、実際は哲学者の造った土台の上に神学の家を建てていた(神学の哲学への順応/啓示の自然的理性への順応)。

→ 神の主権の及ばない領域を認め、罪と堕落の及ばない領域を認め、そこにおいては人間の理性の自律性を承認している。

このようなことから、カトリックを半ペラギウス、と考えます。

投稿: 木人 | 2007年9月17日 (月) 09時31分

>トマスは神・人・世界に関する知識を、まずアリストテレスに相談し、その後で不完全で傷ついた部分をキリストに補修してもらう、と考えた。

これだと、アリストテレスが主で、キリストは従に思えますが、トマスの意識は逆と思います。

>当時「哲学は神学の婢(はしため)」と言われたが、実際は哲学者の造った土台の上に神学の家を建てていた(神学の哲学への順応/啓示の自然的理性への順応

確かに、形式、外面は、そう見えるかも知れませんが、実質、内容は、自然理性では到達できない啓示が主になっていると思います。

>→ 神の主権の及ばない領域を認め、罪と堕落の及ばない領域を認め、そこにおいては人間の理性の自律性を承認している。

人間の罪にもかかわらず、理性能力が残っているということは、人間の罪にもかかわらず、人は人であることをやめない、すなわち、理性的動物であることをやめないということを言っているように思います。しかし、その理性が、そのうちに救いの力を持っているとは、全く言っていないと思います。

>このようなことから、カトリックを半ペラギウス、と考えます。

カトリック教会の歴史的事実は、半ペラギウスを否定したのだと思います。

投稿: toma | 2007年9月17日 (月) 16時58分

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