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2007年9月12日 (水)

思惟する主体

「思惟というものは思惟するものと思惟されるものの対立があって初めて成立するものである」(『プロティノス』鹿野治助著)

思惟するものと思惟されるものの対立が認識の条件である。

ところで、自然(空間)は対象であるが、その対立関係からは倫理は生まれないだろう。倫理は歴史(時間)を対象として生まれるのだろう。

しかし、それでも、意識の、ある程度の方向性が前提されていない時、歴史の前に立っても、歴史の選択はできないのだろう。

思惟する主体の前提は、主体の中にはないのかも知れない。これが二重予定の洞察なのだろうか。

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