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2007年9月 6日 (木)

法事

仏教行事が生活の中で普及している日本では、死者のための法事が一般的に行われる。これは「死者のため」である、というのが説明かも知れないが、生きている人のためでもないのだろうか。仏教にとって、「死者のため」というのは、どういう意味なのか、という問いは、理屈としては難しい問いになるかも知れない。

さて、法事で、親戚の人たちが集まる。故人の思いにひたるひと時がある。それは生きている人たちのためでもあるのではないだろうか。

そのひと時で、死者と自分の関わりの確認が深まれば、それは、その人のこれからの生き方に意味があるであろう。そのような過程の中に、死者と生者との関係が安定していく。そんな安定の中に、生者は死者の「成仏」を受け入れていくのではないだろうか。

しかし、法事があっても、そのような死者の「影響」が残り続ける場合がある。死者の意味を、自分たちの中に確認する機会がないからである。その時、自分史や、または家系図の作成などを通して、家族・親戚たちが互いに確認の時を持つのであれば、それは意味のあることではないだろうか。

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