« 法事 | トップページ | ニューエイジ »

2007年9月 6日 (木)

第二原因

改革派の神学の中では、聖定という言葉がよく使われる。一般的な「予定」というのは、人間の究極のありかたに関する聖定である。

「ウェストミンスター信仰告白」は第三章に「神の永遠の聖定について」という項目を挙げている。その中に、こんな言葉がある。

「1 神は、全くの永遠から、ご自身のみ旨の最も賢くきよい計画によって、起こりくることは何事であれ、自由にしかも不変的に定められたが、それによって、神が罪の作者とならず、また被造物の意志に暴力が加えられることなく、また第二原因の自由や偶然性が奪いさられないで、むしろ確立されるように定められたのである」
(新教新書『ウェストミンスター信仰基準』15頁)

「ウェストミンスター信仰告白」はカルビン主義の信条であるけれど、この個所の後半は、論争相手のアルミニウスの主張を取り込んでいるのではないだろうか。両者は対立し、論争した歴史的経緯はあるけれど、第二原因の考え方に理解を示している。これは救いにおける、人間の自由意志による決断の必要もまた認めることができるという意味ではないだろうか。

この第二原因という言葉は、ここ以外にも出てくる。

「2 第一原因である神の予知と聖定との関連においては、万物は不変的かつ無謬的に起こってくる。しかし同一の摂理によって、神はそれらが第二原因の性質に従い、あるいは必然的に、あるいは自由に、または偶然に起こってくるように定められた」(「第五章 摂理について」、新教新書『ウェストミンスター信仰基準』22頁)

要するに、第二原因というのは、神の聖定と人間の自由との接点なのである。

|

« 法事 | トップページ | ニューエイジ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 法事 | トップページ | ニューエイジ »