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2007年9月14日 (金)

見神の実験

近代日本のキリスト教史の中で、「見神」という言葉に出合う機会がただ1回ある。使ったのは、綱島(つなじま)梁川である。

普通は、こういう言葉は使わないであろう。なぜなら、神は見ることが出来ないからである。「見る」という場合、それは時間・空間の中で、空間の中の存在者が「見られる」物としてなければならない。しかし、神は、そのような存在者ではない。だから、神を見ることは出来ないのである。

もちろん、梁川も、そういうことは知っているであろう。では、この見神とは、何を意味しているのだろうか。(以下、『近代日本とキリスト教--明治篇--』基督教学徒兄弟団発行、236-8頁参照)

綱島梁川は、本名は綱島栄一郎という。彼が注目されたのは、藤村操が華厳の滝から身を投げたころであった。万朝報で、黒岩涙香は、信仰の伴わない哲学で人生の意味を探るのは、黒暗々の部屋で、黒い帽子を探るようなものだと書いている。黒岩はユニテリアンとも関係があるといわれている。

この「見神の実験」については、「回光録」の中の「枕頭の記」に書かれているという。

梁川は、信仰の三つの段階について記している。

彼は、明治6年(1873年)、岡山県に生まれ、14,5歳の時、組合教会に籍を置いた。明治20年、高梁(たかはし)教会で受洗している。それから6年間、無差別的盲信の時期が続く。

その後、26年の夏、彼は正統的信仰を捨て、3年間、懐疑の時期を過ごす。キリストは偉大な道徳的天才であり、聖書は修養書であった。これが第二期という。

しかし、この第二期では、世界と人生が無意味となり、再び、神を求めるようになり、明治29年ころから、神は「生命の流れ活発なる緑色の神」となり始めた。これ以後が第三期。そして、この中で、「見神の実験」に達したという。

その見神は37年の7月に始まった。彼は、こういう。

第一回目の記録。

「最初の経験は昨年7月某日の夜半に於いて起りぬ。予は病気に余儀なくせられて、毎夜半凡そ1時間がほど、床上に枯坐する慣ひなりき。その夜もいつもの頃、目覚めて床上に兀坐しぬ。四壁沈々、澄み徹りたる星夜の空の如く、わが心一念の翳(くもり)を著けず、冴えに冴えたり。爾時(そのとき)、優に朧ろなる、謂はば、帰依の酔ひ心地ともいふべき歓喜(よろこび)ひそかに心の奥に溢れ出でて、やがて徐ろに全意識を領したり。この玲瓏として充実せる一種の意識、この現世(うつしよ)の歓喜と倫を絶したる静かに淋しく而かも孤独ならざる無類の歓喜は凡そ15分時がほども打続きたりと思ぼしき頃ほのかに消えたり」

第二回目は、秋空の下、街上でなされたもので、夕陽を帯びた林巒を遠く、眺めつつ、「この刹那忽然として、吾は天地の神と偕に、同時に、この森然たる眼前の景を観たりてふ一種の意識に打たれたり」という。

梁川は、「神と偕に在り、神と偕に楽しみ、神と偕に働く」と言い、また、自己の「見神の意識が、汎神的なると同時に、又超神的なること」を主張する。

文献では、以上のように書かれているが、ここで、いくつかのコメントがある。

①見神とは、新生の体験ではないのであろう。なぜなら、新生は洗礼が一回であるように一回だけの体験であるが、見神の実験として何度も記述されているからである。従って、見神とは、聖化の中の瞬間的、自覚的体験といえようか。であれば、それは聖霊の満たし、聖霊のえい満という言葉で表現されてきたものであろう。「キリスト者の完全」とも関連するかもしれない。聖化の道を歩むキリスト者が、最終的完成である栄化の前に、求めるべき目標であるかも知れない。

②「見神の意識が、汎神的なると同時に、又超神的なること」という表現がある。ケーベルの立場は「超越的汎神論」と言われるが、少し気になる表現である。

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