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2007年9月24日 (月)

世界観の探究

小学生の時、算数は面白かった。問題が解ける面白さを味わった。この面白さは、科学の面白さなのだろう。そして、一生、この面白さを追求できるのであれば、それはそれで幸福な人生であるかも知れない。私には、そんな人生は与えられなかった。

それは、自己が問われた時、もっと重要なことがあるのだという思いの中で、その面白さが吹っ飛んでしまったからだ。こうして、人は人生の意味の探究の旅に出るのである。

「世界は哲学に対しては科学に対するのとは全く違った仕方で自分を啓示する。諸科学は抽象的部分的実在を取り扱うのであるが故に、世界は諸科学に対しては自分を全体として啓示しない。従って世界の意味は諸科学によっては把握されえない。それ故に数学的物理学が感覚的・経験的な現象を対象としないで、物自体を対象とする所の存在論であろうとするが如き試みは笑止千万である」(『神秘主義・象徴主義』)

科学・技術の魅力はあるのだけれど、もっと優先する課題が人間にはある。それは世界観、人生観の問いに対する回答である。人は、その問いに対して何らかの回答を持っていて、それに従って生きている。

「アインシュタイン自身も、哲学的にみると、存在するあらゆるものは、数学的に秩序づけられており、原則として最後まで数学的に説明され得る、という前提にとらわれている」(『哲学の学校』カール・ヤスパース著)

自分の前提を認識し、それを高めていく時に、視野が一層開けてくるのであれば、とりあえず、その前提を是としてもいいのだ。アインシュタインの前提への確信は、私には分からないけれども、その前提を持つ限り、説明への動機もまたなくならないだろう。

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