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2007年10月26日 (金)

自殺を考える

日本人には自殺者が多いという。自殺願望者は、もっと多いということだろう。

しかし、人の死について、その人たちが真剣に考えているとは思えない。ただ、自分の現在の環境から抜け出たいという思いが、安易に自殺願望に走らせているのではないだろうか。

自殺者に意味があるとしたら、人には死があるということを知らせているということかも知れない。しかし、これらは、誰でも知っている。ただ、考えても仕方のないこととして、その日が、ある日、突然、あるいは、たびたびの予告の後に来るのを、どうすることもできずに、待っているだけではないだろうか。

思いが死に向かっているということは、悪いことではない。ただ、そこで、願わしいことは、ただ短絡的に死にたいと言葉に出すことではなくて、「死の思想」を構想したらいかがであろうか。それは、恐らく、万人のためでもある。それから死んでも遅くはないと思う。

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コメント

般若心経では、色即是空と空即是色があり、禅の教えの中には、身心脱落と脱落身心がある。これらは二つでありつつ、一つでなければならない。生きるということは、同時に死ぬことも意味する。生きることを考えることは、同時に死ぬことを考えることでもある。

死ぬことは不吉とか不幸とか思う必要があるのだろうか。要するに、環境に適応できないので死ぬのである。逆に言えば、死ぬことは、その人のためでもあり、環境のためでもある。死ぬことは自然的命を絶つことのみを意味するのではない。自分の影響を小さくしていくことも、死ぬことの中に入るのではないだろうか。環境に適応できなければ、環境からはじかれるだろう。それは環境のためでもあり、また自分のためでもあるかも知れない。

人は生活を問われている。日々、問われている。自分に委ねられているものを、正しく管理できない時、それらが発している呪いの言葉を聞かねばならない。しかし、聞いていない人たちがいる。やがて精算しなければならない時が来るのだろう。それが死ぬ時なのかも知れない。

投稿: | 2007年10月26日 (金) 23時11分

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