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2007年10月29日 (月)

典礼運動管見

典礼とはカトリック教会で主に使われている言葉である。プロテスタント教会では礼典という言葉が一般的に使われている。この運動の中では、礼拝の形が考えられる。

体験的な面を重視する教派では、この面の関心は余り大きくはないだろう。礼典主義者といって、外面的な宗教儀式への参加を重視しているが、内面的なものに欠けている場合、否定的に使われる場合もある。

恐らく、この典礼運動のコンテキストが分からない場合、無関心になりやすい。信徒が多数の場合には、外面的な規律は必要となる。しかし、日本の場合のように少数の場合、どれほどの意味があるのだろうか。

バチカンのお達しというものは、極東の少数信徒の立場に合わせて送られてくるものではない。極東の少数派の信徒としては、このお達しで、世界基準では、どんな関心があるのか、それを眺めるのは意味があると思う。

しかし、関心を高める方法がないわけではない。それは、やはりコンテキストの再考から始まる。

典礼運動というものは聖化論の中に位置づけられねばならない。そして、生活改革運動でなければならない。聖化論、生活改革運動という言葉に典礼運動が有機的に結びつくのであれば、それはもっと信徒の関心を高めるのであろう。

バチカンの方を見るのはいい。しかし、自分たちの生きている社会を見なくなれば、第二バチカンの精神に反することになるだろう。

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