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2007年10月22日 (月)

日本のキリスト教

人間の歴史というものは、ある意味で、原罪から始まっている。

その歴史を是認して、その上に発展させようとしているのが西洋的指向であり、その逆が日本的指向ではないだろうか。

そして、日本に入ってきているキリスト教は、その西洋的指向を前提としているのであれば、日本でキリスト教が浸透していかない理由が、そこにあるのかも知れない。

しかし、そのようなことを真剣に考えようとしないところで、宣教が指向されているかも知れない。それは、余り関心を呼ばないだろう。

日本的宗教性というものは、存在にあるのではなくて、その逆である。そのような宗教性の中で、キリスト教福音が捉えなおされるのであれば、それはこの地で受け入れられるものとなるだろう。

そういうキリスト教を模索し、構築していかなければならないと思う。

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コメント

もし、トマス・アクィナスが今の日本にいたら、彼はアリストテレスの学徒になったであろうか。私は、そうは思わない。むしろ、仏教・神道・儒教を学んでいたであろう。そして、それらとキリスト教との比較を行い、その中でキリスト教の解説をしたであろう。トマスの本が、一見、アリストテレス哲学を下敷きにしているように思われるように、現在の日本にいると仮定したトマスは、仏教・神道・儒教を下敷きにしているように見られるかも知れない。そう思われても、それを意に介さないのではないだろうか。

投稿: | 2007年10月22日 (月) 09時35分

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