« 「天皇陛下万歳」を思う | トップページ | ブレンドの味 »

2007年11月16日 (金)

教派を問う

ドストエフスキー時代の、あるロシアの宗教思想家が、カトリックはペテロ系、プロテスタントはパウロ系、そしてロシア正教はヨハネ系と、類型化して紹介していたと思う。

カトリックはペテロ系、プロテスタントはパウロ系は分かるような気がする。教皇はペテロの後継者というし、ルターの旗印「信仰義認」を説くガラテヤ書はパウロの書いたものだから。

正教がヨハネ系とは、どういう意味なのだろうか。ホミャーコフの語るソボルノスチ(霊的共同体)の理念に、ヨハネを思うのだろうか。

しかし、よく考えれば、これらは聖書という基準に関しては共通している。だから、カトリック教会といっても、新約聖書の多くの部分を書いているパウロの教説の下にあるのである。それに対立するところに、ペテロの教えがあるのではないだろうと思う。

また、プロテスタントは「聖書のみ」、カトリックは「聖書と聖伝」という形で、両者の違いが語られてきた。今でも、そう教えられているだろう。そこでは、「聖伝」とは何かが問われるべきかも知れない。伝は「伝統」に関係がありそうだ。解釈原理と考えれば、どうだろうか。プロテスタントの教派は、聖書に対する、それぞれの解釈原理が多様という意味ではないだろうか。だから、「聖書のみ」と言っても、実は、各教派は、「聖書と聖伝」で立っているのだと言えないだろうか。

|

« 「天皇陛下万歳」を思う | トップページ | ブレンドの味 »

コメント

「あるロシアの宗教思想家」というのは、ウラジーミル・ソロヴィヨーフであったと思う。

投稿: | 2007年11月16日 (金) 20時09分

こんにちは。
正教がヨハネ的だというのは、もしかすると「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」というところにあるのでしょうか。
この句は『カラマーゾフの兄弟』でエピグラフとして掲げられているのですが、高橋保行氏によると、正教的な「人間の神化」を表現しているそうです。

投稿: 読者 | 2008年1月21日 (月) 22時05分

詳しく勉強したわけではありません。しかし、教皇はペテロの後継者というのですから、カトリックはペテロ的、ルターの信仰義認はパウロが強調したことなのでパウロ的と言えるのかと思います。もちろん、連想の範囲においてです。正教がヨハネ的というのは、彼岸的なところを指しているのかも知れません。共産主義には、そんな宗教性が含まれているというのがベルジャーエフの指摘であったと思います。

それから「人間の神化」という表現は、ある人たちには誤解されそうです。被造物としての人間は創造主としての神になるわけではないと思います。ただ、聖化、栄化(至福直観)の道を歩む人間の、聖霊における交わりを通しての「変化」を「神化」と言っているのだと思います。

投稿: | 2008年1月22日 (火) 09時36分

丁寧な返信ありがとうございます。

ペトロ的・パウロ的というのは何とかわかるのですが、正教がヨハネ的というのが(例え連想の範囲であっても)わかりにくいなあと感じ、質問をさせていただきました。

確かに「人間の神化」は誤解を生みやすい表現だと思います。私も言葉の遣い方に気をつけておきたいと思います。

投稿: 読者 | 2008年1月22日 (火) 19時06分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「天皇陛下万歳」を思う | トップページ | ブレンドの味 »