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2007年12月28日 (金)

伝道

キリスト者にとって、伝道とは義務というよりも喜びであろう。この喜びを味わう時、いてもたっても伝道、伝道という一直線の人生に入るかも知れない。

かつて、伝道への情熱で知られるカナダ・トロントにあるピープルス・チャーチの牧師、オズワルド・スミス博士の本を感銘深く読んでいた時があった。スミス博士の本であったろうが、人類を二分する見方が書かれてあり、大胆というか、向こう見ずというか、驚いたことがあった。それは、キリスト者と、そうでない人たちの二種類しかいないという見方であった。

しかし、思えば、人間には新生を目指している人と、栄化を目指して聖化の道を歩んでいる人と、この二種類の人しかいないのではないだろうか。

そして、聖化の道を歩んでいる人は、新生を目指している人に、何事かお手伝いをすることができる。これが伝道ではないだろうか。だから、伝道の条件というものは、伝道する人が聖化の道を歩んでいるということである。逆に言えば、聖化の道を歩んでいれば、伝道は自ずからなされると思う。そして、この自ずからの伝道こそ、本当の伝道なのだと思う。

では、聖化の道を歩むには、どうすればいいのだろうか。「イエススのみ名の祈り」による祈願から始めればいい。顧みれば、新生もまた「「イエススのみ名の祈り」による祈願により実現したのである。聖化もまた、「イエススのみ名の祈り」による祈願により前進していくのだと思う。

「イエススのみ名の祈り」とは、東方教会で知られた祈りである。だれにでも出来る「絶えず祈れ」の日常生活における実践である。

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2007年12月27日 (木)

年の暮れ

肌に刺す 寒心地よし 年の暮れ
空気晴朗 何事か待つ

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射祷

射祷かな シュプレヒコール この二つ
関係ありと 思う人あり

射祷には 神の名あれど シュプレヒは
その名を欠いて 輪廻を転ず

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2007年12月25日 (火)

伝道の手段

「対話による話題の提供」という伝道もあるのではないだろうか。「対話伝道」と言ってもいいかも知れない。第二バチカンの示唆するものは、ここにあるのではないだろうか。

福音派的信仰の中では、クルセード方式の伝道が主に考えられてきた。しかし、伝道は、そればかりではないように思う。

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テレビ時代

人の世に テレビ来たりて みな演技
気軽に参加 顔見て分かる

情報の 発信者いて 受信者も
テレビ媒体 重き増す日々

演技とは 偽なるものかな 本心と
今年の言葉 くしくも一致

観客が いないようだが 皆見てる
日常演技 少し必要

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岩下の路線

「井上は、……、日本文化について理解を深めようとした。「神学といえば横文字を立てになおすことであり、布教といえば、むこうで生まれた組織をそのままこちらに持ってきて植えつけようとすることだと思いこんでいる」(『イエスのまなざし』)のではだめだと思ったからである。要するに、岩下壮一、吉満義彦の路線の明確な否定である。岩下は、知識階級、とりわけ一高、東大の学生たちを通して、上から日本社会にカトリックを植え付けようとした。そしてゆくゆくはカトリックの政党を作り、国政レベルで日本をキリスト教化していこうと構想していたのである」
(『須賀敦子と9人のレリギオ』神谷光信著、日外アソシエーツ、104頁)

井上とあるのは、井上洋治神父のことである。

井上神父の「神学」「布教」に関する、当時の教会の考え方への批判には共感するのだけれど、それは「岩下壮一、吉満義彦の路線の明確な否定」と言われるのは、どうなんだろうか、という思いがする。

明治以降の日本のキリスト教はプロテスタントが主流であり、カトリックというのはキリスト教を学ぼうとする知識人に顧みられなかったような気がする。その中で、岩下氏が、「いや、そうではない」と、日本人の信者として初めて反論され、ようやく日本の知識階級にもカトリックが市民権を得るようになったという背景がある。要するに、プロテスタントの中でのカトリックの弁証の意味を岩下は持っていたという意味である。そのコンテキストで考えると、岩下氏のもつ意味が大きなものに見えてくるのではないだろうか。

もちろん、日本文化との関係を考えるのは大切なことである。少なくとも、吉満は、そういう発想を否定することはなかったと思う。「新しき中世」というのは、「古い」中世の回帰を目指すものではないからである。しかし、そう回帰と誤解されるかも知れない。

それに、岩下がカトリック政党の構想を持っていたというのは、初めて知った。どこに、その可能性を見い出したのだろうか。かつて、プロテスタントの中に、キリスト教政党を立ち上げようとした人がいたが、実現しなかった。「キリシタン邪宗門」の意識が国民の深層意識に残っているかも知れない日本に、カトリック政党の可能性などあるのだろうか。私には信じられない。

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改宗

英国のブレア前首相が、英国国教会からカトリックに改宗したという報道がある。

「改宗」という言葉が使われている。「改宗」という言葉が適当なのだろうか。プロテスタントからカトリック、カトリックからプロテスタントと、教会を変えるキリスト者がいるだろうと思う。南米では、カトリックからプロテスタントに変わる人たちが多いらしい。この場合も、「改宗」というのだろうか。しかし、キリスト教信仰の根本が変わるわけではないと思う。

これまでは、プロテスタントとカトリックとの対立面ばかりが強調されてきた。その基本は「信仰義認」の教理であった。しかし、この面では、基本的対立ではなくて、一致のあることが、前世紀末に国際的に確認された。この合意の中で考えるとしたら、現代では、あのニューマン枢機卿の改宗のような強烈な意味づけはできないのではないだろうか。しかし、「改宗」という言葉には、あのニューマンの改宗の印象を引きずるものがあるような気がする。

プロテスタンティズムは、自らの信仰のアイデンティティの確立のためであろうと思うが、宗教改革史の学びが続けられている。その中で、時代的・地域的な印象が繰り返し語られる可能性がある。こうして、やがて固定観念が生まれてくる。しかし、それは「事実」と違うかも知れない。過去の歴史的な信仰の表明と、現代における見方とを、常に対話させていくべきではないかと思う。その時、新しい視野が開けてくるのではないだろうか。

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2007年12月23日 (日)

クリスマス

クリスマスの意義と言われても、よく分からない。どうしたら分かるのだろうか。

イエスは復活したのだという。どういう意味なのか、分からない。自分と、どういう関係があるのだろうか。

聖霊が降臨し、これは今でも、そうなのだという。これは、聖霊を受けた人なら分かるけれど、そうでなければ、やはり分からない。

おそらく、クリスマスの意義というものは、聖霊降臨から始めなければ分からないのだ。聖霊降臨から復活に戻り、そしてクリスマスを祝う、その時、初めて、本当の祝いになるのだろう。

しかし、多くの人は、クリスマスの祝いを聖霊降臨から始めようとはしない。

だから、こういわれている。

「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」(マタイによる福音書22章14節)

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2007年12月20日 (木)

観音とマリア

仏教の観音さまとキリスト教(カトリック)のマリアとは、どこか似ていると思ってきた。そんな指摘をする人もいる。

「女性崇拝は仏教においてもありますが、それは特に、日本では観音崇拝となってあらわれる。観音は本来女性ではありませんが、それは姿をかえて人間を救うという考えによって、だんだん女性と考えられるようになるのです。ちょうど、キリスト教のマリア崇拝のようなものが観音崇拝になるんですよ」
(『人間としてみたブッダとキリスト 山本七平・宗教を語る』102-103頁、梅原猛氏の言葉)

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見えない教会

見えない教会のアイディアは、アウグスチヌスにあっては革命的原理ではなかったと思う。それは、見える教会の不完全性の指摘であっても、彼は見える教会を重んじた。
しかし、プロテスタントの改革者たちにとっては、それは革命的原理に移行していったと思う。それには深い意味が隠されているのかも知れない。教会の諸要素が見えるようになったという意味においてである。
ところで、今、それは何なのだろうか。

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ものの呪い

人が生きていくのに必要なものは、それほど多くはない。だから、ある意味では、どんな人でも、ものがないということで、生きていけないということはないと思う。
ただ、生きることを妨げているものがあるとしたら、それは、ものの呪いを受けているためかも知れない。
不要なものが、その管理者を呪っている。その呪いを聞きながら、ものにふさわしい場を提供することが、管理者に求められている。

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第二バチカン

第二バチカン公会議は、今から40年も前のことである。教会は今もその影響下にあり、その旅路を歩んでいる。
その自覚は、あるいはない人もいるかも知れない。しかし、教会の問題を考えようとするなら、その自覚は必要だろう。カトリック信徒の場合である。
プロテスタントの信徒の場合は第二バチカンの拘束はないのだから、眺めるだけであろうか。それでも、同じ西方教会の中での、この大きな変化には無関心ではおれないだろう。
第二バチカンはカトリック信徒にとっては、一小教区の問題ではなく、一教区、いや日本全体の問題でもない。それは世界の教会の問題である。だから、具体的な行動に結びつくには、手続きが必要になる。しかし、とにかく、第二バチカンを考えるということは、世界の教会を、現代の教会を考えることを意味するのだ。
教会は一つの地域的な集会を指すのみではない。一つの教派の言葉でもない。2000年の歴史、世界への広がり、そういう視点も必要ではないだろうか。

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祈り

私は祈る
あなたも祈る

私の相対的な完全と
あなたの絶対的な完全の中で

一つの、この世の場の中で
二重の祈りが伝わっていく

アートマンの祈り
そしてブラフマンの祈り

二重の祈りは
上に昇っていく

この祈りは二列でもある
東洋と西洋なのだろうか

見上げれば
十字架の形も

その上に
空が見える

不思議な模様だ
どこから来たのだろうか

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玉川大学

玉川大学は創立者の全人教育の理念で知られている。生徒の学力低下が憂慮されている今日、教育のあり方で、この全人教育の理念が再考されてもいいのではないか。
知育偏重は間違いである。知育、体育、徳育と、人間のすべての部分の調和のとれた発達が大切である。玉川大学の校歌にそれが現れている。
大学大学はいわゆるキリスト教主義大学ではないと思うが、校歌には神という言葉が出てくる。そこでは要請としての神が、啓示としての神と出会っているようでもある。
教育とは何かと問う時、玉川大学は常に指標となるものを示唆していると思う。

校歌はこうである。

1.空高く 野路は遙けし
 この丘に 吾らはつどい
 吾が魂(たま)の 学舎(まなびや)守(も)らん

2.星あおぎ 朝(あした)に学び
 風わたる 野に鋤ふるう
 斯(か)くて吾ら 人とは成らん
 
3.神います み空を仰げ
 神はわが とおつみおや
 吾がわざを よみし給わん

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否定神学

西洋が 日本で異質 感じるは
肯定の道 否定は別か

肯定は肯定神学、否定は否定神学のこと。仏教はむしろ否定神学に近いのだろう。イエズス会の司祭たちには仏教や否定神学に造詣の深い人たちがいる。

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2007年12月18日 (火)

近代の超克

吉満義彦は、座談会「近代の超克」の出席者の一人であった。彼は盛んに発言していたが、その後の、この座談会の評価の中で、余り言及されていないように思う。

彼の歴史認識に関して、こんな言葉がある。
「それ故にカトリック的意識より見れば、近代西欧の精神が「根こぎにされ」神自らを見失った根源はまさに十六世紀における「教会よりの分離」にあるので、これが十八世紀において「キリストより分離」せる合理主義的理神論となり、その同じ軌道を追うて十九世紀における「神よりの分離」となり無神論的唯物論の荒らすところとなったのである」
(『吉満義彦全集第1巻』279頁、「カトリック的宗教復興の現象と理念」)

このような歴史観は、カール・アダムと同じである。このような歴史観に最初に触れた時、私はプロテスタントであった。だから、当然、不満を感じた。

16世紀とあるのは、宗教改革のことであろう。しかし、宗教改革が、その後の啓蒙主義や共産主義の「原因」になったというのは、どうなのだろうか。プロテスタントの信徒たちは反発を感じるのではないだろうか。信仰義認の理解に関しては、カトリックとルター派は根本的には同じという声明まで出しているのが今日の現実である。

あるいは、宗教改革は、その後の啓蒙主義、共産主義の「原因」ではないが、「誘因」となったというのであれば、それは、ある程度、言えるのかも知れない。

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中世的人間

「中世的人間はカトリック的人間であるかぎりは歴史を通じて永遠である。それは歴史的人間規定ではなく、神学的形而上学的人間規定として本質的に超自然てな霊性規定であったからである」
(『吉満義彦全集第1巻』143頁、「中世的人間と近代的人間)

吉満も、その師であったマリタンも、ある意味では、「中世至上主義」であった。しかし、それは、歴史的な西洋中世を最高のものとして、そこに帰れという意味ではなかった。歴史的中世が宿していた永遠なるものの再発見への呼び掛けでもあった、と思う。その永遠なるものは、現代でも有効であるという主張でもあったと思う。

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遠藤周作氏のこと

私は遠藤周作氏の姿を1度だけ見たことがあるが、話したことはない。『沈黙』が出世作とすれば、仏教とキリスト教との出会いを描いた『深い河』が遺言だあろうか。あるいは、第二バチカンの精神の開拓者という位置付けも可能であろうか。
諸宗教との対話は、第二バチカン精神によるの大いなる成果であろうと思う。

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一つの教会

世界がグローバル化している今、世界規模でものを考える必要がある。その時、教会も「一つの教会」の観念があったほうがよいかも知れない。それに応じられるのは、ローマ教会なのだろうか。
ハイラーキーを主従関係とのみ捉えるのではなく、共同体の意識が教会の内と外に世界規模で伝わる意味も考えてみてもいい。

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2007年12月16日 (日)

人間本性の理解

「「創造の秩序」において神に似せて造られたということは、神のごとく自由な創造的行動の主体であるということを意味し、神に包まれた関係においてではあるが、神より独立して、いわば神々のごとくに自ら自身に自主性を与えられたという人間本性の理解は、確かに人間の文化的行動一般ないし創造一般をそれ自身として価値づけ妥当せしめるものである」
(『吉満義彦全集第1巻』24頁、「文化と宗教の理念」)

救いというのは、まずは自分自身における「創造の秩序」の回復であり、健全な「創造的行動の主体」の回復を意味するのであろうか。

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新しき中世

「カトリシズムは中世紀時代におけるごとき政治の公的面における直接的関連において、いわば「神聖帝国」の政教統一性において使徒的使命を遂行せねばならぬということはなく--それはヨーロッパ民族の政治的形成の特殊的事情に負うていたのであるが(知らず、摂理的にか人間的にかおそらくは両方の意味において)--新しき「霊性の支配」はさらに社会的生の内在的聖化の原理として「世俗性の聖化」(sanctification du profane--J.Maritain)として霊性の類比的実現の道によるべきで、「古き中世」の再現が近代の危機に臨んで期待さるべきはずのものではなく、され得るものでもない」
(『吉満義彦全集第1巻』163頁、「世俗史と教会史の秘義」)

キリスト教は、西洋の中世のように、国教の中でなければ使命を遂行できないというのではなく、近代の危機を超えるものとして中世に目を向けるなら、それは、歴史的中世の再現を求めても意味はない、ということであろう。彼は、もちろん、第二バチカン以前の人であったが、その提唱は、第二バチカン以降、現代の教会においても生きているのではないだろうか。

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第二バチカン

カトリック信徒として自覚的な信仰に生きようとするのであれば、第二バチカン公会議を無視することはできないだろう。基本的には、根本的には、それを評価し、批判も受け止めつつ、そのなかで、自らの立脚点を客観化していかねばならない。
要するに、次の公会議までは第二バチカンの精神の中で生きていかねばならない。第二バチカンを革命的公会議と見るのも間違いだが、第二バチカンを全面的に否定してカトリック信仰が維持していけるとも思わない。
昔、解放の神学の提唱者で知られたグティエレス神父が来日して、四谷のイグナチオ教会で講演をした。
その時の神父の講演は解放の神学がいかに正しいかを問答無用で訴えるのではなくして、カトリック教会の諸会議の説明から入り、じゅんじゅんと諭すような話だった。立場としては左翼でも、感情的な訴えからはほど遠いものがあった。印象深く、よく覚えている。
カトリック教会は、目の前に形のあるものとして、存在している。その形は、日本人としては、あるいはなじめないもの、余り価値を見いだせないものかも知れない。しかし、それがカトリック教会のすべてではないのだと思う。

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2007年12月14日 (金)

ドストエフスキー

「総じて彼のカトリシズムの理解は浅薄であることはむしろ彼と同じロシア正教の立場にあるベルジアエフも認めているごとくであり、さらにわれわれはドストエフスキーが思想的に親近していたソロヴィエフ自身がカトリシズムに晩年において帰せざるを得なかったのを思えば足りると思う。その点ハイムやトゥルナイゼンなどがドストエフスキーの「大審問官」におけるカトリックの無信仰性の指摘を何かドストエフスキーの積極的意義でもあるかのごとくにみている点は彼らの無知と浅慮を示すものにほからない」
(『吉満義彦全集』第5巻、91頁、「ドストエフスキーの「悪霊」について」)

最近、ドストエフスキーの新しい翻訳で、この人への関心が出ているようだ。しかし、ドストエフスキーのカトリック批判は有名である。そのコメントも欲しいが、上記は、その一つである。

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関心の持続

ブックオフで『キリスト教と仏教の接点』(本多正昭著、行路社)という本を購入した。共鳴する所が多かった。この著者の本を読むのは初めてである。名前も知らなかった。

本はことしの6月に出版されたものだが、昭和51年に新聞に出した文章などから始まり、著者の関心が一貫していることを示している。

日本人がキリスト教徒になる時、プロテスタントから信仰のアイデンティティの追求ということで、ドイツの神学者の著書などを勉強するかも知れない。そこでは、仏教への関心は余り生まれないだろう。しかし、カトリック教会に入った時には、余り神学的な議論の中に入ることはないかも知れない。日本語で紹介されていないのが、一つの原因かも知れない。そして、何か違和感を覚える人が多い。本多氏も、そんな一人であろう。遠藤周作氏も、そうだったと思う。この違和感は、私も何か理解できるような気がする。

この違和感を大切にし、それを第二バチカンからの歩みに重ね、しかも、キリスト教の根本を踏み外さない方向の模索、それが本多氏の提唱であれば、その点では、私も同じである。そして、この模索には、未来があると、私は思っている。

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新しき時代

「マリタンは二十世紀において近代世界はすでに近代的たることを止めて、新しき時代に入らんとしていると言い、この新しき時代の文化と人間性の再建のために、人々はまず一切の近代的文化の精神的方向づけそのものを精算し、「源泉を清める」ことをもってはじめて真実の精神と霊の内的革命を遂行をせねばならぬと言う」
(『吉満義彦全集第1巻』401頁、「ジャック・マリタンの文化哲学について」)

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宗教の風景化

宗教の風景化という言葉を聞いたことがある。そこには、宗教の現状に対して、ネガティブな批判と共に、もっと期待するというポジティブな思いが込められているのだろう。

しかし、風景の形というものが、あるいは大切なのかも知れないとも思う。生活の中に形を作るということは、ある意味では、生活を容易にしてくれる方法かも知れない。そこから「宗教の風景化」という言葉に、積極的な意味を見い出すこともできるかも知れない。

以前は、余りなじみを感じていなかった言葉に「典礼運動」という言葉がある。これも、宗教の生活化とみなせば、大切なことがわかる。その意味で翻訳しても、それは広義の翻訳になるかも知れないが、それでもいいかも知れない。

「教・行・証」が仏教者の成長の過程であるという。それに当てはめれば、「行」の過程にあたる。

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2007年12月13日 (木)

聖三木図書館

以前、上智大学のキャンパス内にあった聖三木図書館が大学に隣接するイグナチオ教会の敷地内に新しくできた建物の中に移動して、このほど活動を再開しました。キリスト教の学びのための書物が揃っています。四谷駅の近くなので便利です。

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第二バチカン

吉満義彦や岩下壮一は第二バチカン以前の人と思われるかも知れない。それが、このような人たちに対する関心が薄くなった理由であれば残念だ。しかし、諸宗教への関わりでは第二バチカンを評価したい。

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目標設定力

目標の 設定力が 岐路なのか
 成功するか 失敗するか

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2007年12月11日 (火)

薄幸

薄幸も楽しからずや
どんなにすごい幸福にも
死の影の宿っているのを
見抜いた目には

薄幸もまた楽しからずや
どんなにすごい不幸にも
心一つで天窓が開くのを
知った心には

薄幸の道は、この世に別れ
天を目指す巡礼の道

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日本のかたち

天皇がいて、首相がいる
それが日本のかたち
日本人に生まれてきて
そのかたちにつながれた

そのかたちもいいのではないだろうか
そう思うことがなければ
日本人へのメッセージは
生まれないであろう

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競争と共生

競争は相手を負かすことである。しかし、真の競争は相手を生かすことである。マンダラの道を行けば、それが明らかになる。
競争は近世・近代の影響で顕著になったが、そのような生き方は、東洋人には、どこかなじめないものがあるかも知れない。しかし、競争をマンダラの道につなげることができれば、それは共に生きる道であることが分かる。
マンダラの道は共生の道でもある。浅い意味においてではなくして、深い意味における共生の道である。

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マンダラの道

マンダラの道は聖化の道、それは巡礼の道でもある。一つの巡礼が終わり、別の巡礼が始まる。しかし、個々の巡礼が終わったあとも、その影響は残り続ける。そして、新しい巡礼に力を与える。
巡礼は分裂し、断片化した聖なるものを訪問し続ける。全体の統合を目指しながら。16世紀に、主のからだは分裂した。今、巡礼は分裂した、近世・近代の断片を訪ねつつ、新しい中世を目指す。

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マンダラ人生論

人は真上を見ることができにくい。真上を見て前に進むことができない。
しかし螺旋の山登りはできる。前進しつつ真上に登ることができる。ここにマンダラ的人生論の妥当性がある。

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マンダラへの関心

ユングはマンダラに興味を持っていた。なぜだろう。
聖化、人格の完成、人生の目的の達成などは螺旋状に上昇する。それがマンダラで表現されている。

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計画性

人間は自分の人生に計画性を持たなければならない。
どんなものでもいい。身近かなものから簡単なものから始めて計画力の養成をしなければならない。

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生活の意味

生活は繰り返しである。単なる繰り返しであれば退屈だ。繰り返しつつ何かが実現されていかねばならない。その時に繰り返しも始めて意味を持つ。

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2007年12月 9日 (日)

マンダラ手帳

マンダラで 手帳作り 生き方を
 問うアイディアに 魅力を感ず

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2007年12月 7日 (金)

実存思想

「限界状況を経験するということと、実存するということとは、同一のことなのである」(ヤスパース「哲学」、『ヤスパース、マルセル』(中央公論社)277頁)

キリスト教信仰の根本は実存思想であると私は思う。しかしキリスト教思想は実存思想に限定されていない。

実存思想の目標はキリスト教思想であると私は思う。しかし、実存思想は、キリスト教思想に必ずしも結びつかない。

キリスト教思想と実存思想が結びつく時、もっとも強力な思想が生まれる。その予感がキルケゴールにあったのではないか。

現代思想がキルケゴールを重視したことを思う時、実存思想の忘却はキリスト教思想の目標喪失以外の何ものでもないのではないだろうか。

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2007年12月 6日 (木)

キリスト教と西洋

西洋を 経由してのち 西洋化
 もとは違うと 言えど分からず

使徒は言う ギリシャにあらず されどなお
 その誘惑を 受けつつ今に

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命名力

最近、「~力」という言葉にお目にかかる。意味は、なんとなく分かる気がする。

しかし、命名力という言葉はまだないように思う。聖書では、創世記で、それが示唆されている。

「主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどのように呼ぶかを見ておられた。人が呼ぶと。それはすべて、生き物の名となった」(創世記2・19)

エデンの園で、アダムのしたことは、文化の創造ではないかも知れないが、名前をつけるということは、文化力を指すようにも思う。環境のすべてに名前をつけることから、人は初めて、自分の管理者としての義務を果たすことができるのだから。名前をつけるということは、知ることを意味する。だから、その逆に、どんどん名前をつけていけば、知ることを誘発していくかも知れない。

命名力は文化力を生み出すのである。文化力は誰もが求めているが、その前提の命名力の「実践」を、身近なところからしていかなくてはならないのだ。

命名力は、生活習慣の中に基礎づけられて、成長していく。そんな生活が大切と思う。

そんな中で、目標設定能力が生まれてくれば、「豊かな人生」への列車は、少しずつ走り出したといえるのかもしれない。

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二つの教理

救世軍の教理の中心は二つ。新生と聖化である。救世軍では救いと潔めという。これは救世軍の主要な二つの集会の名前にも反映している。日曜の午前の聖別会、午後の救霊会である。聖別会は聖化、救霊会は新生に対応している。
一般的にはホーリネス系は四重の福音という。新生、聖化、神癒、再臨である。
中でも新生、聖化が中心ではないだろうか。
仏教でも同じような発想がる。
自分の救いの達成に努め同時に他を教える。そこに聖化と新生のモチーフがある。仏教ではこれは一つという。救世軍にもそんな認識があったように思う。

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2007年12月 3日 (月)

座談会 それに法座と 修行道
 片や証しも あれど片道

創価学会の「座談会」、立正佼成会の「法座」は、修行の道なのかも知れません。

一方、キリスト教でも、ウェスレー系の体験重視の教派には「証し」が重視されていますが、それも、語りっぱなし、聞きっぱなしで、「対話」することは、余りないのではないでしょうか。

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2007年12月 2日 (日)

全知全能

神は全知全能だという。この命題は、認識主体の実存的状況を前提にしているのではないかと思う。この前提のないところで、この命題を理論理性の対象とすることは、不可解への道を開くのではないだろうか。

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