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2007年12月25日 (火)

岩下の路線

「井上は、……、日本文化について理解を深めようとした。「神学といえば横文字を立てになおすことであり、布教といえば、むこうで生まれた組織をそのままこちらに持ってきて植えつけようとすることだと思いこんでいる」(『イエスのまなざし』)のではだめだと思ったからである。要するに、岩下壮一、吉満義彦の路線の明確な否定である。岩下は、知識階級、とりわけ一高、東大の学生たちを通して、上から日本社会にカトリックを植え付けようとした。そしてゆくゆくはカトリックの政党を作り、国政レベルで日本をキリスト教化していこうと構想していたのである」
(『須賀敦子と9人のレリギオ』神谷光信著、日外アソシエーツ、104頁)

井上とあるのは、井上洋治神父のことである。

井上神父の「神学」「布教」に関する、当時の教会の考え方への批判には共感するのだけれど、それは「岩下壮一、吉満義彦の路線の明確な否定」と言われるのは、どうなんだろうか、という思いがする。

明治以降の日本のキリスト教はプロテスタントが主流であり、カトリックというのはキリスト教を学ぼうとする知識人に顧みられなかったような気がする。その中で、岩下氏が、「いや、そうではない」と、日本人の信者として初めて反論され、ようやく日本の知識階級にもカトリックが市民権を得るようになったという背景がある。要するに、プロテスタントの中でのカトリックの弁証の意味を岩下は持っていたという意味である。そのコンテキストで考えると、岩下氏のもつ意味が大きなものに見えてくるのではないだろうか。

もちろん、日本文化との関係を考えるのは大切なことである。少なくとも、吉満は、そういう発想を否定することはなかったと思う。「新しき中世」というのは、「古い」中世の回帰を目指すものではないからである。しかし、そう回帰と誤解されるかも知れない。

それに、岩下がカトリック政党の構想を持っていたというのは、初めて知った。どこに、その可能性を見い出したのだろうか。かつて、プロテスタントの中に、キリスト教政党を立ち上げようとした人がいたが、実現しなかった。「キリシタン邪宗門」の意識が国民の深層意識に残っているかも知れない日本に、カトリック政党の可能性などあるのだろうか。私には信じられない。

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コメント

岩下壮一の意義というものは、プロテスタントの主張が主流であった明治以降の近代日本のキリスト教史の中で、カトリック弁証を展開したことではないだろうか。ルター、カルビンと、その主張はよく知られていた。その視点は学ばれていた。しかし、カトリックの反論は余り知られなかった。だから、その反論は、ある意味で新鮮味があったのではないだろうか。

そこでは、事効論が語られているように思う。これは、ドナティスト論争におけるアウグスチヌスの立場などを考えた時、理解しやすいように思う。

けれど、その当時は、キリスト教はローマ帝国の国教であった。しかし、現在の日本では、そうではない。そういう環境を考えた時、事効論の意義が少し変化してもいいのではないだろうか。

いずれにしても、事効論というカトリック的主張を考える時、この歴史的背景が分かれば、理解がしやすいと思う。

投稿: | 2007年12月30日 (日) 13時53分

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