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2007年12月28日 (金)

伝道

キリスト者にとって、伝道とは義務というよりも喜びであろう。この喜びを味わう時、いてもたっても伝道、伝道という一直線の人生に入るかも知れない。

かつて、伝道への情熱で知られるカナダ・トロントにあるピープルス・チャーチの牧師、オズワルド・スミス博士の本を感銘深く読んでいた時があった。スミス博士の本であったろうが、人類を二分する見方が書かれてあり、大胆というか、向こう見ずというか、驚いたことがあった。それは、キリスト者と、そうでない人たちの二種類しかいないという見方であった。

しかし、思えば、人間には新生を目指している人と、栄化を目指して聖化の道を歩んでいる人と、この二種類の人しかいないのではないだろうか。

そして、聖化の道を歩んでいる人は、新生を目指している人に、何事かお手伝いをすることができる。これが伝道ではないだろうか。だから、伝道の条件というものは、伝道する人が聖化の道を歩んでいるということである。逆に言えば、聖化の道を歩んでいれば、伝道は自ずからなされると思う。そして、この自ずからの伝道こそ、本当の伝道なのだと思う。

では、聖化の道を歩むには、どうすればいいのだろうか。「イエススのみ名の祈り」による祈願から始めればいい。顧みれば、新生もまた「「イエススのみ名の祈り」による祈願により実現したのである。聖化もまた、「イエススのみ名の祈り」による祈願により前進していくのだと思う。

「イエススのみ名の祈り」とは、東方教会で知られた祈りである。だれにでも出来る「絶えず祈れ」の日常生活における実践である。

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