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2007年12月 6日 (木)

命名力

最近、「~力」という言葉にお目にかかる。意味は、なんとなく分かる気がする。

しかし、命名力という言葉はまだないように思う。聖書では、創世記で、それが示唆されている。

「主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどのように呼ぶかを見ておられた。人が呼ぶと。それはすべて、生き物の名となった」(創世記2・19)

エデンの園で、アダムのしたことは、文化の創造ではないかも知れないが、名前をつけるということは、文化力を指すようにも思う。環境のすべてに名前をつけることから、人は初めて、自分の管理者としての義務を果たすことができるのだから。名前をつけるということは、知ることを意味する。だから、その逆に、どんどん名前をつけていけば、知ることを誘発していくかも知れない。

命名力は文化力を生み出すのである。文化力は誰もが求めているが、その前提の命名力の「実践」を、身近なところからしていかなくてはならないのだ。

命名力は、生活習慣の中に基礎づけられて、成長していく。そんな生活が大切と思う。

そんな中で、目標設定能力が生まれてくれば、「豊かな人生」への列車は、少しずつ走り出したといえるのかもしれない。

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