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2007年12月16日 (日)

第二バチカン

カトリック信徒として自覚的な信仰に生きようとするのであれば、第二バチカン公会議を無視することはできないだろう。基本的には、根本的には、それを評価し、批判も受け止めつつ、そのなかで、自らの立脚点を客観化していかねばならない。
要するに、次の公会議までは第二バチカンの精神の中で生きていかねばならない。第二バチカンを革命的公会議と見るのも間違いだが、第二バチカンを全面的に否定してカトリック信仰が維持していけるとも思わない。
昔、解放の神学の提唱者で知られたグティエレス神父が来日して、四谷のイグナチオ教会で講演をした。
その時の神父の講演は解放の神学がいかに正しいかを問答無用で訴えるのではなくして、カトリック教会の諸会議の説明から入り、じゅんじゅんと諭すような話だった。立場としては左翼でも、感情的な訴えからはほど遠いものがあった。印象深く、よく覚えている。
カトリック教会は、目の前に形のあるものとして、存在している。その形は、日本人としては、あるいはなじめないもの、余り価値を見いだせないものかも知れない。しかし、それがカトリック教会のすべてではないのだと思う。

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