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2007年12月16日 (日)

新しき中世

「カトリシズムは中世紀時代におけるごとき政治の公的面における直接的関連において、いわば「神聖帝国」の政教統一性において使徒的使命を遂行せねばならぬということはなく--それはヨーロッパ民族の政治的形成の特殊的事情に負うていたのであるが(知らず、摂理的にか人間的にかおそらくは両方の意味において)--新しき「霊性の支配」はさらに社会的生の内在的聖化の原理として「世俗性の聖化」(sanctification du profane--J.Maritain)として霊性の類比的実現の道によるべきで、「古き中世」の再現が近代の危機に臨んで期待さるべきはずのものではなく、され得るものでもない」
(『吉満義彦全集第1巻』163頁、「世俗史と教会史の秘義」)

キリスト教は、西洋の中世のように、国教の中でなければ使命を遂行できないというのではなく、近代の危機を超えるものとして中世に目を向けるなら、それは、歴史的中世の再現を求めても意味はない、ということであろう。彼は、もちろん、第二バチカン以前の人であったが、その提唱は、第二バチカン以降、現代の教会においても生きているのではないだろうか。

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