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2008年1月 1日 (火)

第二バチカン管見

岩下壮一、吉満義彦は、本によれど「忘れられた人」と言われる。なぜなんだろう。第二バチカンの影響かも知れない。もし、第二バチカンがなかったとしたら、二人への関心は今とは違っていただろう。

プロテスタントの信徒にとっては、第二バチカンは隣の家のことで、自分のこととしては意識しないかも知れない。しかし、カトリック信徒にとっては、自分の信仰に直接に関わる事柄である。それは、現代カトリックを語ろうとする時、避けて通れない原点に位置している。これをはずして、現代カトリックを理解することができない。

第二バチカンは、ある意味で、中世に別れを告げた。そして、現代に生きることを決断した。その旅路の成果はもう、いろいろなところに現れていると思う。中には、信仰義認合意声明のような、近世を終わらせるような、画期的なものもある。諸宗教の対話も、その一つである。

中世は、キリスト教とギリシャ思想の総合であった。第二バチカン以前であれば、それを教科書のように学ぶことが信仰であったかもしれない。しかし、日本人にとって、なぜギリシャ思想なのかという問いがあるかもしれない。その答には、理性の普遍性というものもあるかもしれない。普遍性はギリシャ、日本を問わないからである。しかし、日本人にとってはギリシャ思想よりも仏教の方が遙かに身近であろう。

では、ギリシャ思想を仏教に置き換えて、トマスのような思想展開ができないだろうか。第二バチカンは、その冒険に「やってごらん」と言うのではないだろうか。

四谷駅近くにあるカトリック系大学には、中世思想研究所と東洋宗教研究所がある。中世思想研究所は歴史的中世に目を注いでいるようだが、東洋宗教研究所は第二バチカン後の意識の結実のようだ。その探究をなお実り豊かなものにするには、中世的原理の見直しもまた必要なのかも知れない。日本人としては、ギリシャとインドを置き換えてみたいという思いがするのである。

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コメント

中世思想研究所と東洋宗教研究所は、一つの大学内のことであるけれど、カトリック諸大学を眺めても、こんな印象を受ける。南山大学における諸宗教対話の実践はよく知られているが、最近、英知大学が聖トマス大学 と改名した。この二つのカトリック大学もまた、その中に「関係」が生まれれば、「新しき中世」を目指しているようにも思える。要するに、「信仰と理性」との関係が問われているのである。そして、中世は、これに一つの回答を与えている。その妥当性は今でも通用すると、私は思う。

投稿: | 2008年1月 1日 (火) 14時43分

「岩下が今日ほとんど忘れられた存在であることのもう一つの理由は、戦後のカトリック教会が、岩下の顕彰にさほど積極的でなかったこともあげられる。これは、岩下のみならず、他の人物についても同様なのだが、特定の「個性」を顕彰することに教会はほとんど意味を見出していないのである」(『須賀敦子と9人のレリギオ』神谷光信著、日外アソシエーツ、194頁)

岩下壮一の意義を考える時、教会は、もっと、この人物の業績を評価すべきと思うけれど、なぜか避けているようにも思える。第二バチカンが始めたカトリック側から見た「エキュメニズムの時代、諸宗教対話の時代」に、岩下の精神が邪魔なのであろうか。そんな感想を、ちらっと私に話してくれた人もいた。
もちろん、第二バチカンの中で構想することは大切である。それを基本にしながらも、岩下らが何を訴えていたのか、それを聞くことも意味のあることと思う。第二バチカン前というレッテルを貼られて、その業績を学ぶ前に葬られているのではないかとさえ思う。
一方で、キリシタン時代の殉教者たちに光が当てられている。それは、われわれに何を語ろうとしているのだろうか。日本人の世論を、あの和辻の『鎖国』の認識にずらそうとするのだろうか。そういう意図は伝わってこないけれども。しかし、そういう議論が生まれた時、カトリック信徒はあの鎖国を否とすべきであるというのであれば、また新たな議論が生まれるのではないだろうか。

投稿: | 2008年1月 3日 (木) 11時16分

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