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2008年1月10日 (木)

絶壁に立つ

ドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』の中で、イヴァン・カラマーゾフの、神に対する問題提起は重大である。それは、神の人間に対する不公平な扱いに対するものである。

ここで彼は絶壁に立ったのではないだろうか。いや、信仰者たちに絶壁に立つ危険を伝えようとしたのかも知れない。彼は信仰の人ではなかったのだから。

一方、この絶壁は、予定論、二重予定論を信奉しているカルビニストも感じたのではないだろうか。二重予定説の前では足元が揺れるのではないだろうか。しかし、カルビニストたちの前の人でも、それを感じた人たちがいた。

イミタチオ・クリスチの著者は第2巻第58章「高遠な問題と神の隠れた審判とを論議することについて」の中で、そのような論議を避けよと勧めている。

「イエス・キリスト
1 私の子よ、高遠な問題や神の隠れた審判について論議することをつつしめ。なぜこの人はなおざりにされ、あの人は多大の恵みを授けられるのであるか、なぜ或る人は悩まされ、他の人は高らかに崇められるのであるか、等がそれである。
2 そのようなことは人間の知性を超えており、どんな推理や論議の形式も神の審判を究めることはできない。
3 だから敵がそんな考えをあなたの心に起こすか、だれか好奇心の強い人がそれについて尋ねるかしたら、すぐ予言者の言葉をもって答えるがよい。「ああ主よ、あなたは正しく、あなたの審きは正しいのです(詩篇119篇137節)」
4 あるいはまた次の言葉でもよい。「主の審きは真実であって、ことごとく正しい(詩篇19篇9節)
5 わたしの審きは尊敬されるべきもので、論議されるべきものではない。それは人間の理性には不可解なものであるから。」
(角川文庫『キリストに倣いて』由木康訳、193-4頁)

二重予定と神の公平さとを、どう調停させたらいいのか、人間には分からないというのが真実の答えなのではないだろうか。そして、この問いの前に立つこと、それが絶壁の経験かも知れない。これに誰が耐えられるだろうか。誰がめまいを感じないでおれるだろうか。

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